「経済古典は役に立つ」 感想

投稿者: | 2010-12-16

アタマのいい人と喋っていると自分までアタマがよくなったような気がするけど、それと似た感覚を味わいながら読んだ。

それはまず、冒頭にあるように、アダム・スミス、ケインズ、シュンペーターからブキャナンに至る経済学の泰斗を各章に配置した上、その時代背景と人物像を紹介し、研究の特徴を説き、その論の限界を明らかにするという本の構成そのものの明快さや、大学での講義を基にして書かれたという筆運びのわかりやすさである。

もう一つ、同じく冒頭に「経済学史や経済思想の専門家がたくさんいる中でこうした本を書くことは、私の任には負えない仕事だと思った」とある。だがこの本には、実際に大臣として日本国の経済政策に携わり、その問題意識の中で経済思想のあれだこれだを肌で実感した著者ならではのリアリティがある。

同時代の、全体を見渡せすことができる日本人による、日本語で書かれた啓蒙書、それがわかりやすさの理由だと思うし、これほど得難い教材はない。

さて、「経済古典」と言えばしかつめらしい経済学の原理法則が書かれているのかと思ってしまうが、いずれの泰斗の経済理論も、実は各時代に持ち上がっていた社会問題に対する処方箋として書かれたものである、という基本テーゼがまず興味深い。

たとえばアダム・スミスは市場経済の萌芽を、ケインズは20世紀初頭の大恐慌を、シュンペーターは「大きな政府」の弊害をそれぞれ目の当たりにして、各時代を乗り切るための論を展開した。それらは先人の“限界”に対するアンチテーゼでもあった。こうして概観すると、誰が正しいのかという話ではなく、経済学があっちへぶつかり、こっちでつまづきしながらなお動き続けているのだということがよくわかる。

もっとも、後半のシュンペーターやハイエク、フリードマンらに関しては、“限界”までの記述はない。まだ結論が出ていないまさに現代の問題が扱われているからであり、「小さな政府」を指向する著者の主張が今なお彼らの思想のライン上にあり、またあるべきだと考えているからだろう。

経済学徒ではないし、読書家でもないのでスミスもケインズも知らないが、近ごろの閉塞感の中で語られるいろいろな論客のブログなり批評なりをせめて理解しようと思ったら、これら経済社会のスタンダードが何を言っているかくらいは知っておいた方がいいと思う。そのポイントを適切につまんでくれる本書は、格好の手引き書なのである。

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ところで、本書を読んでかなりショッキングだった話が2点ある。

「官僚・行政組織が甘い汁を吸う大きな政府」と「ごく一部の大金持ちしかいい目を見ない小さな政府」、どっちもダメなら中庸でバランス取るしかないね(次はそういう能力のある政党に投票したいものだ)、と漠然と考えていたんだが、この本では「中庸はない」とハッキリ書いている。どちらへ行くか明確にしないといずれ中途半端になる、と。であれば、どこにも行けないじゃないか。

もう一つは、シュンペーターが説いた「資本主義を崩壊させる3つの要因」が、すべて今の日本に当てはまっているということである。いわく、「トラスト化資本主義(大企業への集約による不完全競争化)」、「知識人による資本主義への敵対化(生活水準の上昇に伴って知識人・批評家が増殖し、資本主義をやっかむようになる)」、「個人主義的功利主義(自分のことばかり考える)」の3つである。崩壊の先には、社会主義化があるという。

日本(人)は今、社会主義を夢見ているのだろうか。

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