「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」 感想

投稿者: | 2018-10-11
著者 : 新井紀子
東洋経済新報社
発売日 : 2018-02-02



東ロボくん、という言葉には聞き覚えがあった。

国立情報学研究所が中心となって行われた「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトで開発が進められた「人工知能」である。

著者は、そのプロジェクトの中心人物。

プロジェクト自体は2016年に終了したそうだが、結果的に東ロボ君は東大には「入れなかった」。もっとも、それは失敗に終わったということではなく、「人工知能」(AI)の限界を示すという意味で一定の成果を収めたという評価のようだ。

そうなのだ。「AIには限界がある」。それを示すのがこの書の主眼なのである。

巷間、「AIが人間の仕事を奪ってしまうのではないか」「AIは人間を超えて行くのではないか(人間がドレイになるのではないか)」という論調を時々目にするが(オレもそんな気がしているが)、遠い未来はともかく、近々そんなことは起こりようがない、というのを説いていく。

つまりAIは、

  • 数学にできること(「論理」「確率」「統計」)しかできない。
  • 「推論」をしたり「理解」をしているわけではない。「目的」も持っていない。
  • AIが「学習」するには正確で純度の高い大量の「お手本」が必要だが、ごく特定の分野を除いてそのようなものは用意できない。

だからご心配めさるな、ということらしい。

しかし逆にAIは、

  • 東大突破こそならなかったが、MARCH(明治・青学・立教・中央・法政)の合格ラインは越えた。ということは、日本の大学生の上位20%には入る(学生の8割を凌駕する)。
  • 「ホワイトカラー」がやっている仕事の多くは、早晩こなせるようになるだろう。

という話になって、再び背筋が寒くなってくる。

結局、人間がAIと勝負するためには、介護など体を使った仕事とか、理解・推論といったAIが苦手とする分野で頑張るしかないというのである。

さて、これから「AIと勝負」して行かなければならない今の子どもたち。本の主眼はそこへ移って行く。

東ロボくんプロジェクトを通して作られた評価テストを使って中学生を中心に調べたところ、かなりの部分は「鉛筆転がし」と変わらない点数しか取れないのだという。そして、その原因をさらに探ると、そもそも問題文の「読解」ができていないことがわかった。

「教科書が読めない子どもたち」とは、つまりそういうことなのである。

AIにできない、人間ならではの能力が、既に今の子どもたち(大人たちも他人事ではあるまい)から抜け落ちつつある。いま、対策を取らなければ大変なことになる・・・「幼年期の終わり」の逆パターンのような、とても居心地が悪くなる警世の書なのであった。

*

なるほど、AI技術がもとで近々大きな社会変動が起こることはなさそうである。

でも、「AIの限界」も現状認識の上に立脚した概念である以上、絶対とは言えないのではないか。だって、そもそも既存の想定がひっくり返るのがシンギュラリティ(技術的特異点)なんだろうから。

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