「私たちの耳は聞こえているか」 感想

投稿者: | 2013-01-17

前に挙げた本「倍音」の著者が、武満徹の曲「ノヴェンバー・ステップス」を聴いて尺八を志したといい、同書には武満の引用も出てくるので、久々に武満の本を手に取ってみた。

インタビュー記事やエッセイなど、武満の短文を集めた本。

「耳は聞こえているのか」というのは、武満が言うんだからもちろん形而上の話であり、巷に溢れる安っぽい音どもに満足することへの警鐘なのである。

ほとんど一人で、心身を削るように作曲という芸術に向き合っていた人だけに、文章も一事を深くえぐるように綴られる。題材は音楽的遍歴、芸術論、社会の動きなどさまざまだが、抽象的で七面倒くさい言い回しが多く、正直疲れた。

が、個の音楽は巡りめぐって社会につながっていかなければならないという議論がたびたび出てくるほか、武満の音楽を理解するために重要な示唆を与えてくれる言葉が出てくる。

たとえば、「日本の音楽」についてフランス人ジャーナリストに語った以下のようなくだりである。

ベートーヴェンとは、あなたがた(ヨーロッパ人)にとって、一本の樹木であり、そこから他の音楽家が派生してくる一つの目安のようなものです。樹木というのはがっしりしたものです。東洋にベートーヴェンはおりません。音楽は草のようなもので、風になびき、季節で色が変わります。それは群小の作曲家たちによってできており、彼等はめいめいが互いに少しずつ異なってはいますが、みな共通の何かを持っているのです。
(中略)
日本では、たった一音で、すでに音楽「そのもの」なのです。その音は自然を内包しうるし、時間に関係して存在しているのです。

こうした「音の認識」を踏まえて改めて「ノヴェンバー・ステップス」を聴くと、また随所でゾっとすることになる。

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