ブルックナーの謎
2011/05/23 月 15:33
HY
いや、この場合、凝っているという表現では物足りない。「巻かれている」、または時節柄不穏当ではあるが「押し流されている」という方がしっくりくる。
大きな羊羹の切り口を思わせる圧倒的な総奏。狂おしいほどに哀切なアダージオ。対位法のめくるめく美技。痺れと酩酊をもたらす同形反復。そして聴き始めるのに相当の覚悟を要するありえない長さ…。そこには、例えば愛の夢だの祖国の夜明けだの苦しみを超えて歓喜だのといったストーリーで割り切れるものはない。世俗的な理屈や感情は超越しちゃってるのだ。
「またあの長いアダージオかよ」とか思いながらも、ひとたび聴き始めたらただ宇宙のエーテルの中に身をゆだねるような感覚に巻き込まれ、そして忘我のまま最後まで押し流されるしかないのである。
かの名指揮者チェリビダッケはこうとも言った、「ブルックナーの交響曲の終わりにくると、完璧であるという感覚、つまりすべてを終えたという感覚を覚える」と。
ところが、レコードやCDのライナーノーツなどを読んでいると、例えば30も年下の美少女に求婚しては断られたの、ドナウ河畔の小石を数え始めたのと、ブルックナーという人そのものが超越しちゃってたんじゃないのか、というエピソードに事欠かない。いったいどういう人物なの?と常々思っていたので、またまた伝記を読んでみた。
「
作曲家 人と作品 ブルックナー」 根岸一美 (音楽之友社)
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