2003/07/27 日

山歩きの自然学

山歩きの自然学―日本の山50座の謎を解く
山歩きの自然学 -日本の山50座の謎を解く (小泉武栄) 山と渓谷社

昔子供だった頃、夕張の実家の裏で、よく崖から飛び降りて遊んだっけ。
…と言うとなんか荒唐無稽のようだが、岩がボロボロに崩れて堆積してほどよいクッションになっていたため、別にケガとかもしなかったのである。

以来、何となく崖というのはそれが当たり前のようなイメージだったが、どうもそれは蛇紋岩の露頭というもので、結構ありふれてはいないものらしい。夕張岳が特異な高山植物が多いことで有名なのも、この地質に植生が影響を受けているからだというのである。

そんな話を始め、地質、植生、氷河時代以来の大自然の歴史から、高山植物の分布の不思議、妙な地形といった日本の山約50座の「謎」を解き明かす。なにぶんシロートゆえピンと来ない部分も少なくないのだが、グっと登山の興味を深めてくれる本である。

2003/07/27 日

き…聞いてないよ…(^^;)

例年8月末に執り行われる府中名物・競馬場の花火。昨年は改装中でやらなかったので、今年は見に行くぞ~!と意気込んでいた矢先のことであった。

夜、自宅でくつろいでいると、7時半頃、競馬場方面から何やらアナウンスの声が聞こえて来る。「…府中競馬場花火大会、にせん、さん! これより開催です…」

え? え? え? 聞いてないよ! え? 何で? 何で今日なの? いつもの「府中市民フェスティバル」じゃないの? と頭の中は「?」で一杯になるが、とにかく今年は今夜、やるらしい。思えば夕べウォーキングに出た時に、時ならぬリハーサルらしき音が競馬場内から漏れ出ていたのは、まさにこれであったのか…!

今から競馬場に走ってもさすがに間に合わない。しょうがないので、慌ててベランダにキャンプ椅子とかカメラの三脚とかをおっぴろげ、時ならぬ花火鑑賞大会となった。

東京競馬場の花火は、もう本当に真上で炸裂する「近さ」が特長なのでその点残念ではあったが、それでも「自宅のベランダから見る花火」なんてかなりオツ。大輪の豪華さとお腹に響くドン!の音を堪能したのであった。

ちなみにカミさんは「ビール買って宴会の準備さえしておけば~~~!」と悔しがることしきり。「ダンナ、情報収集ミスの失態。明日…は仕事だから明後日、高尾山往復のバツ」とのお言葉をちょうだいしたのであります。

2003/07/21 月

登山不適格者

登山不適格者
登山不適格者 (岩崎元郎) NHK出版・生活人新書

なかなかショッキングなタイトルだが、山で見かける・山にいがちな、心得不足・準備不足・勉強不足な“不適格者”を挙げ、そういう人は山に来るな、とやっつける本(という体裁を取りながら、もちろんそこに気を付けて楽しく意義深い時間を山で大いに過ごそう、という啓蒙書である)。
著者は、ヒマラヤ遠征隊長などの経験があり、NHKの入門番組で講師を勤めたこともある、ヤマ界では著名な人。

その内容は山への心構え、装備・食料や読図などの事前準備、自己を知り、他者への思いやりを知れ…というようなものだが、単なる入門書から一歩踏み込んだ警句、傾聴すべき先人のバランス感覚がちりばめられている。
ウチみたいに、ちょっと山歩きを囓り始めてイイ気になっている初心者はぜひ一読すべき本だろう。

2003/07/21 月

WOODCRAFT AND CAMPING

Woodcraft and Camping
Woodcraft and Camping (NESSMUK) DOVER社

焚き火大全」で紹介されていたので、買ってみた…と言いつつ、実は同名の別の本と間違えたのだった(^^;)。

「woodcraft」は、森術…森林での行動・生活技術というような意味だそうで、これは1920年初刊の、アメリカキャンプ入門書の古典(The Great American Classic of Camping)である。
Amazon.comで引くと筆頭に出てくるので、今も盛んに読まれているのだろう。

装備や遊び方はいかにも時代的だが(用意すべきはファインウールの外套だとか、油引きの帆布でテントを作るとか)、その基本的な哲学といったものは現代にも通じ、傾聴の価値あり。
「Go Light--装備は軽くシンプルに」、「輝かしく愉しき焚き火のない森林ホテルは早晩滅びる」とかね。

2003/07/19 土

いよいよ1000m超!

梅雨の晴れ間を見つけて…と言ってもいつ降り出してもおかしくない…と言いながら実際は時おりポツポツと降られる天候の中、奥多摩の人気峰と言われる川苔山(かわのりやま:1363.3m)へ出かけた。

奥多摩方面へ電車で行くのは初めてなので、乗り継ぎなどでチトまごついてしまった(正確に書くと、時刻表の読み誤り…「ダンナの失態」と呼ばれている(^^;))のを除けばあとは順調、のどかなJR鳩の巣駅から山頂まで、休憩を含めて往復6時間の行程であった。

4山目にしてついに1000m突破は、これまでで最も標高が高い(ニセコアンヌプリより高いな!)。雨がちの天気で滑りやすいところや、断崖絶壁も結構あったけど、登山道は整備されているし、アップダウンの感じもなかなか歩きやすく、思いの外楽しかった。
前回の高柄山で低山=ラクな山とは限らない、と思い知った通り、山の高低で山行の辛さラクさは量れないのよね!

2003/07/13 日

また大相撲が面白くなってきた?

若・貴が出てきた辺りから全然見ていなかったんだけど(特に貴がキライだった)、この「高見盛」という人が面白くて、2~3場所前からまた相撲中継を見始めた。
青森県北津軽郡板柳町出身、東関部屋。力はあるのに気が優し過ぎ、稽古場では幕下相手にも負けてしまう。だから本番(立ち会い)直前に独特の気合を入れて勝負に臨む。そのユニークなしぐさゆえ、「ロボコップ」とあだ名されている。

その高見盛、昨日(中日)はいつも以上の凄い気合から、横綱朝青龍を堂々寄り切って完勝してしまった。ハマったら滅茶苦茶強い。私、思わず声を上げて手を叩いてしまいましたのことよ。
今年は阪神も強いし(てゆーか読売が弱いし)、何かと楽しいであります。

2003/07/08 火

登山の誕生

登山の誕生―人はなぜ山に登るようになったのか
登山の誕生 -人はなぜ山に登るようになったのか (小泉武栄) 中公新書

いつから人間は、またなぜ人間は、スポーツやレジャーとして山に登るようになったか?を歴史的・考証的に解き明かす本。

アルプスやエベレストのヒラリー(英国隊:NZ人)を引くまでもなく、本場といえばヨーロッパかな~という気がするが、「登山」の歴史から言えば日本なんかの方がよほど早かったらしい(お山参詣や講、修験道など宗教的な対象として)。
一方ヨーロッパでは「魔物の棲む場所」として恐れられこそすれ、近年までとても人間が入り込むところではなかったという。それがなぜスポーツへと発展したかと言えば、やはりパイオニア的な変人がいたせいなのであるな…。

世界の登山界を牽引して来た英国だが、やはり貴族の遊びで山岳会組織なども硬直していたゆえ、庶民が参加する他国に次第に遅れをとって行った…など、さまざまなエピソードが面白い。日本の山岳会小史も瞥見される。

なお、孫引きになるが、日本山岳会の二代目会長(確か)だった木暮理太郎氏の言葉がよかったので、ここにも引かせてもらおう。
私達が山に登るのは、つまり山が好きだから登るのである。登らないではいられないから登るのである。なぜ山に登るか、好きだから登る。答えは簡単である。しかしこれで十分ではあるまいか。/登山は志を大にするという。そうであろう。登山は剛健の気性を養うという。そうであろう。その他の曰く何、曰く何、皆そうであろう。ただ私などは好きだから山に登るというだけで満足する者である。

2003/07/05 土

「低山」も侮りがたし

行って来ました、3山目。
今回は、JR中央本線の四方津(しおつ)駅から大地峠~高柄山(733m)~御前山(434m)~上野原駅へと抜ける全行程約6時間のルートである。

標高が低いので内心ちょっとナメていた部分もあったのだが、それがクセモノ。雨の日には奔流が流れるらしいV字型にエグれた道、獣道かと思うような細い一本道、そして果てしなくアップダウンを繰り返す急坂道など、前回の「8時間行」に勝るとも劣らぬ苦行なのであった。特に後半の、ゴルフ場造成のためつけかえられたという山越え・沢越え道が本当に厳しかった(ゴルフなんて嫌いさっ(泣))。
でもまあ山行だもの、これくらいでないと面白くないし。人影はまばら、山頂からの眺めもよく、カミさんが用意したデザート「杏仁豆腐のシャーベット」がまた絶妙2、素晴らしい1日だったのである。

ところで、高柄山頂から下るところで、挨拶を交わしながらすれ違った30名ほどの団体さん。その中の一人のおばさまが私を見て口走った一言を、私は聞き逃さなかった。「あら~、学生さんかしら?」

2003/07/04 金

銀嶺の人

銀嶺の人 (上巻)
銀嶺の人 (新田次郎) 新潮社

最近小説(虚構)は滅多に読まなくなったのだが、例外が新田次郎サンだな。

この小説は、山と渓谷誌7月号で「南アルプス」側のレポーターを務めた大久保由美子サンが、ふつうの?OL時代に読んで、山に向けて大いに触発されたというもの。大久保サンのつり込まれるような笑顔が何となくよかったので、つり込まれて読んでみることにした。

さて小説は、医師と、屈輪彫(鎌倉彫)の若き大家という2人のデキる女性が軸となって進む。冒頭は冬山登山で遭難しかける場面だが、2人が取り組むのはフリークライミングである。そして、“男女の愛”がフリークライミングにどう影響するか?がテーマになっているように思われる。
時代のゆえか、女性像やその“愛”の進み方に大時代的なものを感じるが、モンブランやアイガーなどの壁登り場面も交えて一気に読ませる。
結末はビミョー。新田サンの厳しい小説作法が現れている…というところであろうか。
1/1