統計も比喩である
2008/03/17 月 15:05
HY
特にマーケチング業界では、作為や偽装まではともかく、意図的に都合の悪い情報は軽く扱ったり(割愛するとか)、たまたま入手できた情報だけからストーリーを組み立てたり、結局は“ひらめき”(クライアントのツルの一声とか)で結論が語られたり、ということが日常チャメシ事である。
だがそれは一概にインチキだろうか。
統計を見る目的がそもそもプレゼン対策だったり、時間的制約があったり、所期の目的そのもののがけっこう厳密でなかったりすることから、それらはフツーの要請であるし、それによって大きなクライシスが生まれることはまれである。
一方、統計は過去の事実の集積(を大括りにしてはみ出した部分をカットしたもの)である。「次に起こる一事」が、統計が示す大括りな法則の通りに起こるのなら、例えばケイバなんぞは当たりまくりで成り立たないだろう。(ケイバでいう情報は、統計というには余りにも断片的に過ぎると思うが、喩えばの話ってことで(^^;))
そも何かを「やる」ことが重要なのであって、統計を使って「どうやる」かを説得しようというのは、単なる手続きに過ぎないのではないか。なにしろ統計は単なる影絵なのだから。
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ところで、本書では「統計にかかるバイアスの例」がいくつか述べられているのだが、中で興味深いのが2つ。
ひとつは「中国のGDP」で、これが実に正確でないらしい。各地区が、自分の成績を上げようとGDPを過大に推計するためという。
中国様、国家の考え方(国体の維持のしかた)にはいろいろあるんだろうけど、事実を正直に明らかにして欲しいものである。ネット検閲について、食品の安全について、黄砂…いや国土の気象について、そして今回のチベット動乱について、このグローバル情報社会にあって秘匿主義が過ぎるのではないか(一方で秘匿しても漏れて来るのだから矛盾が明らかになる)。
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