ゲド戦記ノート(その後)

2008/07/14 月 17:27
HY



どうせ違うんだから、テーマをどれかに絞り込んでガッツリそれを描いたらよかったのに。
宮崎駿氏ならそうしたのではないか。

そこでWikipediaの説明を読むと、「ははーん、なるほど!」というようなことが書いてあります。
ル=グイン氏から宮崎駿氏にアニメ化のオファーが来た時に、氏は「これまでの自分の作品で既にゲド戦記の要素を取り入れて作ってきたから、今更できない」、などと断ったというエピソード。

確かに!

つまり、「ゲド」の心を理解できる作家なら「ゲド」をそのまんま借りてくる必要はない、ということですね。

アニメ映画は、「ゲド」原作本の「第3巻(さいはての島へ)」や、宮崎駿氏の「シュナの旅(キャラクターデザインはこれによるという)」を下敷きに作られているという。
あちこちから借りて、しかもちっとも咀嚼されていない。実に不幸な作品です。


*

原作との乖離ということで言えば、邦訳そのものもそうですね。

そもそも「戦記」じゃないし。
ゲドの親友の名前にしても、「カラスノエンドウ」というのと原作にいう「Vetch」とでは、意味は同じでもその持っているイメージはまるで違います。「真の名が違う」とはこのことか。
年寄りがみんな「わしは○○じゃ」というのもどうかと。

(もっとも、訳者の清水真砂子さんが北海道新聞紙上で「ゲド戦記には、作者さえも気づいていない豊かさがある…」と語っていたのを読んで、小説を読んでみる気になったのでしたが。

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