カラヤン的

2009/03/07 土 13:31
HY



しかもダメと言いつつ、最後にはもっとカラヤンを聴けと言って結ばれていたりして、論旨は分裂している。カラヤンへの歪んだ愛なのかなぁ。

この本ダメだよね、まあどうでもいいんだけど。

*
ところでこの本、約300ページ。新書にしてはブ厚いのだが、一読、絢爛たる虚飾に満ちた大時代的な言葉(それも同義反復が多い)が散りばめられ、それこそムネヤケものである。

例えばこんな具合だ。

多くの聴衆が切実に感じながら、敢えて語ろうとしなかったカラヤンの虚実皮膜の端境にメスを入れ、その栄光と挫折の軌跡を畏れとともに腑分けする蛮勇が今日ほど切実に求められている時代はない。
この賭けに、持ち得る全ての掛け金を惜しみ無く運命のテーブルに投げ付ける、今がその最後のチャンスである。(中略) 焦眉の急時に拱手傍観できるには時代は楽観的な状況をとうの昔に超え出てしまっているのだ。私たちの責任と責務は限り無く重く大きい。今こそその負債を返す、或いは最後の時かもしれない。審判の鐘は既に鳴り始めている。


…自己陶酔の極致(^^;)。

image[nodame.jpg]そういえば「のだめカンタービレ」に、大詩人のような評論家が出てきて笑い物にされていたが、それを地で行くような文章である。

ムダを省けば紙数は半分、いや1/4くらいで済んじゃうのではないか?

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