staying in OHIO, USA 1998 (solo)



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(K氏の)仕事について
窓から見える遠き朝ヤケ こうして、くだらないことをオレが暇にあかせて書き連ねている間、K氏はもちろん仕事に出ている。
通常の出発時刻は7:30頃。日本と時間の区切り方が違うようで、7:00くらいでもまだ外はうすら暗い(7:00過ぎに、ダイニングの窓からご来光!が拝めてこれがまたきれいなのだ)。
帰って来るのはきっちりと18:00頃。この頃は逆にまだ明るく、夕方の時間を有効に使えるというわけだ。曰く「アメリカ人は残業を嫌って明るいうちに帰ってくるから、その分家族と一緒に過ごしたり買い物やイベントに出かけたりできる」んだそうである。

今日はK氏、日本からの出張者を案内して工場だかに出張とのことで、いつもよりはゆっくり出かけて行った。帰りはたぶん早いだろうという。
しかしこうなるとナンだ、「あなた行ってらっしゃい、帰りは何時くらいになるの?」てな感じで、よく考えてみると大いに赤面ものな日々なのである。

帰国
持ち帰った土産行李 ケンタッキーでの競馬見物の後、1カ月お世話になったK氏と別れ、ルイビル飛行場から帰国の途についた。シカゴオヘアで乗り換え、成田までの旅である。途中、アラスカの真っ白い峰々に目を見張りつ、旅の思い出にひたる。機上から成田が見えた時、さすがにホッとはしたが、懐かしさはまったく感じない。ゴルフコースばかりが目に付くこの国にまた降り立つのか、と少し憂鬱になった。

左の写真は、持ち帰った土産もの。送ると金も時間もかかるので、カートを一つ買って引きずってきた。開いてみたら、ちょっとしたバザールみたいで楽しかった。

謝辞(あとがき)
キッチン内から実家に電話をかけるK氏 1998年の夏、会社をやめて退職金が入ったのと、暇だったのと、パリの凱旋門賞とケンタッキーのブリーダーズカップ(いずれも世界的な競馬レース)が約1カ月の間隔で開催されることを知り見に行くついでにその間ヨーロッパかアメリカで少し生活しちゃったりするのも悪くないなと考えたのが動機で、旅行を思い立った。

航空券は、ヨーロッパ〜アメリカの周遊用チケットを利用して思いのほか安く手配することができた。問題は宿泊である。
そういえば学生時代の友人K氏が、長期の出張か出向かで、ある日本企業の米国子会社に行っている。それにいつだったか「遊びに来てください」って言っていた。
当人は、まさかアメリカまで遊びに来る者があろうとはあまり真剣には考えていなかったかも知れないが、ものは試しとメールを打ってみると、歓迎してくれるという。
単に宿泊ではなく、1カ月もの間逗留させてもらおうというのだから、思えばムシのよい話である。
しかしK氏は、普通に仕事をしていて日々忙しいにも関わらず、快く快適なベッドを用意して泊めてくれ、あまつさえ食事や近隣各地に連れて行ってくれたり、なにかと心を配ってくれた。
いろいろ得難い経験ができたのは、ひとえにK氏のおかげである。この場で改めてお礼を申し上げたい。


ちなみにこのコーナーのコンテンツは、逗留している際に、共通の友人らにK氏の暮らしぶりや周辺の様子を伝えようとして日記のように書き連ね、K氏の個人ページ「tamariba.net(休止中)」に掲載してもらったものである。
まる5年も経って、旅行中に撮った写真(スライドフィルム)をパソコンに取り込める環境をようやく整えたので、その写真と合わせて、文章を再掲載させてもらった。
「まえがき」にも書いた通り、若干書き直した部分はあるが、基本的には98年秋当時の、リアルタイムの記述である。
(この項、2003年12月記す)