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2007/04/20 金

日本語に主語はいらない

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す
「日本語に主語、入らない」じゃないですょ、もちろん。


かねて、「イギリス語の“I”一種類に対して、日本語には“僕”“わたし”“オレ”“それがし”など無数の言い方がある。日本語って、なんて細やかなんだべ!!」と思っていたんだけど、どうもこれ、そうカンタンにはいかない問題だったらしい。

そもそも“I”と“わたし”では、文法的な機能がまるで違うものである。
(どう違うかは、面白いから本書をお読みください(^^;))

日本語文法に「主語」という概念を導入する必要はまったくないし、イギリス語の法則から日本語を考えても意味はない。それは、明治維新以来のイギリス語偏重主義の弊害であり、現在の学校文法は間違いである。

と著者はいう。

明治の頃、初代文部大臣の森有礼という人は「日本語やめてイギリス語を国語にしちまえ」という暴論を吐いた。前島密は「かな漢字をやめてローマ字を使うようにしちまえ」と言ったそうだ。
(言葉を捨て去ることは、そのまま文化、ひいては民族アイデンティティーの放棄である)
で、大槻文彦という人がその後の「日本語文法100年の誤謬」を決定づけた。…

また明治かよ、ですな。

そんな中で、イギリス語やフランス語の話者に日本語を教えて来た著者(モントリオール大学の言語学教授)のアンチテーゼには非常に説得力がある。

後半の自動詞と他動詞の問題あたりになると、かなり難しくて一読では噛みきれなかったんだけど、「は」「が」論争の不毛さも含めて、いかに日本語文法は誤った路地裏にさまよい込んでいた(いる)のか、ということがよくわかる本である。

あとがきにも、日本語教育に携わる方はぜひご一読を、と書いてあるが、日本語のためにオレからもぜひ、とお薦めしたい内容である。

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