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2009/02/20 金

縄文は進んでいた。が…

いつぞやTV番組で、函館で発見された「北海道唯一の国宝」だという土偶を見た。

縄文期のものとされるこの土偶、素朴な中にも緻密かつニュアンスに富んだ造形と豊かな精神性が感じられて、ついつい見惚れるほどだった。

そして改めて、物質文明は進歩したけど人間的内面って実はそれほど当時と違わないのではないか、との感を新たにした。
そういう時には重なるもので、例の凄みのある書評(参照)でも縄文がテーマになっていて、中で取り上げられていた


世界史のなかの縄文―対論
世界史のなかの縄文―対論」 佐原真/小林達雄 (新書館)


という本を読んでみることにした。

日本の歴史の中でというよりも世界の同時代の中で縄文を捉えてみようというものである。
実は縄文は、当時世界の中でもかなり進んだ、トップクラスと言ってもいい文化であった。四大文明のように「文明」と捉えるのは違和感があるが、土器の進化度や集落、生活の発達具合では“世界的”だったのだ…という。

なるほどなるほど。
だが、「戦争はいつから始まったか」という議論のくだりは納得しがたい。道具や規模によってどこで用語的な線を引くかという話なのかも知れないけど、生物は発生した時から他と(領土や繁殖相手を巡って)争う存在だったのであり、戦争は原初からあったとすべきである。(←証拠も検証も要らないんだからシロート発言は気楽だな(笑))


ところでこの本、佐原真、小林達雄という2人の考古学者による対論である。

(たまたま前に読んだ本が「弁証法」なんで多少影響があるんだけど)対論が互いの証拠や主張をぶつけ合ってある成果(結論)を導き出すものであるとすれば、この本はいささか腰砕けに見えた。

いい部分はもちろんあるんだけど、噛み合わない部分ではまったく噛み合わないまま「この話はこの辺で」と打ち切ってしまったり、研究成果と感慨やゴシップとがまぜこぜだったりと、本の各所で情報の濃淡が激しい。

5回ほど会談したというが、それをほとんどすべて、そのまま本にしてしまったのではないか。

佐原氏は「縄紋」という呼び方を主張するが、表記が一部混乱しているなども含めて、ちと消化不良な本なのだった。


なお、冒頭の土偶は一般公開されていないらしい。残念。

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