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2006/10/03 火

山は因果な

ジンセーとは何か…みたいなことは若い頃はよく考えがちだけど、普通はだんだん、形而上的な悩みより現実世界への関心の方が大きくなって来て、そういう問いはいつか忘れてしまう(とゆーか、どうでもよくなる)。
感受性そのものが鈍ってくるということもあるだろう。

でも時には、そういう感性を忘れ得ない人がいて、つい冒険に出ちゃったりするわけだ。

果てしなき山稜―襟裳岬から宗谷岬へ
果てしなき山稜―襟裳岬から宗谷岬へ」 志水哲也 (白山書房)

は、ついに居ても立ってもいられなくなって、北海道の“背骨”を厳冬期に歩き通してしまった著者の記録である。

冒険野郎、さぞや強靱な精神と体力で困難に立ち向かう…!みたいなシーンの連続かと思いきや、意外に逡巡と懊悩の記録であったりする。なんのために歩くのか…いい歳してこんなことしてていいのか…風雪イヤだ、雪庇怖い…そんな率直な吐露に対しては、いわゆる“女々しい”みたいな形容さえ思い浮かぶ。

そして襟裳を発って五カ月。宗谷岬へ着いた著者の心に訪れたのは、達成感でも満足感でもなく、ただ虚脱感だった…。

ゴールに何かがあるのではなく、歩くことそのものが目的である。
というのは、すべての山行に共通する気分ではないだろうか。

どんなに道が険しくても、文字通り死ぬ目に遭っても、頂上(ゴール)に立った途端に心は「次」を向いている。

著者はあるとき夢に見る。
誰かが「死に場所を探しに行くみたいだなぁ」と言った。
「いや、生きる場所を探しにいくんだ」と、僕はしっかりと言い返した。

つくづく因果な趣味だよなぁ。

*
続いて、カミさんが同時に借りてきた「エベレストママさん」を読了、「ミニヤコンカ奇跡の生還」も開いたら読み始めちゃったんだけど、まぁーとにかく人が死ぬこと死ぬこと。墜ちては死に、雪崩に遭っては死に、果ては自身が両の指や足を失ってもまだ山をやめられない。

因果だァ。

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Comments

日記には関係ないけれど、mixiの画像ナイスです!歩行者専用の標識にスキーを入れるっていうのもどうかな?青い△に自転車と人が書いてあるあれです。

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