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2007/09/26 水

謎のマンガ家

巨匠・手塚治虫のメジャーデビュー作と目されている「新寶島」というマンガがありますが、これの初版本表紙を見ると、原作・構成者がいて「酒井七馬」となっています。
(中は見たことがありません。手塚治虫漫画全集版は確か読みましたが、これは手塚による復刻(翻案)だし、酒井の名はありません)

あの手塚治虫になぜ原作者が? しかも酒井七馬って人、その前後の活動をまったく寡聞にして知らない。誰?

と、かねてから疑問に思っていました。
別にかねてから頭を離れず悶えていた、つーほどではないんだけど…。

ある時、本屋さんでこの本に出合いました。

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影


ちょっと晴天の霹靂チックなショックを受けたのは確かであります。そして、「やっぱり謎のマンガ家なのであったか!」と目の前の霧が晴れるような心地がいたしました。

ちょっと大げさですが、いや、まあほんとです。

その酒井七馬の生涯と、手塚治虫ら当時の作家や、まさに始まったばかりのマンガ・アニメ・紙芝居といった画像文化との関わりを描いた伝記であります。

われわれが思うほど「謎」ではないらしいとか、若き手塚にストーリーテリングの勘所を教えた「師匠」らしいとか、かねてからの「疑問」を実に氷解させてくれました。

マンガ文化の黎明期に重要な役割を…いや時代を画したというほどの活躍をしながら、片や巨匠として歴史に名を残し、片や「謎の」と称される運命の数奇さ。

時を忘れて読了しました。

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Comments

左久良五郎名義の紙芝居は、何度か手にしたことがあります。僕は、実は大阪の漫画同人に所属していたことがあって、そこでは酒井さんはすでに伝説の人でした。漫画同人活動の先駆けで、手塚さんもある意味、酒井さんが発掘した人と言えるのではないでしょうか。
酒井さんは、手塚さんと仲違いして、その後接点を持つこともなく一生を過ごしましたが、実は手塚さんに振り回されて、一生を棒に振ったり、精神的におかしくなってしまった人も少なからずいます。僕は、手塚さんの大ファンでもありますが、その行動や発言を調べていったときに、記録として残すのを辞めてしまった事柄は数多くあります(関わるような雑誌の編集もしておりましたので・・・)。
酒井さんの人生は、それはそれで素晴らしい物だったのではないかな、と思うのであります。
なるほど。

「仲違いして、その後接点を持つこともなく一生を過ごしました」と「それはそれで素晴らしい物だった」については、この本は否定的な見解を示唆しています。

まー、所変われば見方も変わるのたぐいかと思うので、オレにはなんとも言えませんが。。。

しかし手塚治虫みたいなほんとの天才がそばにいたら、頭もおかしくなると思うなー。

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