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2004/10/21 木

PLUTO

PLUTO (1)
PLUTO(プルートウ) (1)を読む。

ロボットが死ぬ、とはどういうことなのだろうか、と考える。
ソフトウェアや記憶バンクはバックアップを取っておけるだろう。処理ユニット(ハード)は替えが効くだろう。(この時代、製造コストは大幅に下がっていることだろう)
だから、たとえこなごなに破壊されたとしても、一部記憶が飛ぶにせよ復元は可能なハズである。

ところが、この物語ではロボットがどんどん「死ぬ」。
記憶をたどる(メモリを共有する)ことはできても、もう帰っては来ない。

ということは、ロボットそれぞれには、固有の認識・・・何というか「魂(Ghost in the shellっていうか)」?が存在し、個体が破壊されるとそれは復元不能だということなのだろうか。

ロボットは夢を見るか。
ロボットは近しい人(配偶者や友人)を失って悲しむか。
ロボットは闘いを忌み嫌ってピアノを習いたいと思うのか…。

鉄腕アトムの「地上最大のロボット」、これは人間の奢りや虚栄心がテーマであった。(たぶん)
素朴なヒーローものに終わらない、手塚世界の白眉とも言える作品だった。
(子供の頃、ドキドキしながら読んだそれがリアルタイムであったことはナイショである(^^;))

さて一方このリメーク版、まだ第1巻が出たばかりなのでストーリーやテーマがこれからどう進展するかはナゾだが、人間型のロボットが現実味を帯びて来たこの時代にあって、機械が心を持つのか否かに鋭く迫っていくらしい。

「バガボンド」以外のまんがの単行本、久しぶりに買っちゃったなあ。
ところで、人間は「脳」の似姿を作れるだろうか。
AI(人工知能)のように一部をまねることはできても、まったく同じものは作れないという。
なぜなら、人間は人間の脳の働きを100%確定することはできないからだ。
(クルト・ゲーデルの不完全性定理)

認識とは、脳の特定の細胞の動きではなく、脳全体を走るパルスによって司られているという話もきく。

処理系がとんでもなく複雑になった時、ロボットが魂とか心とかを持つことはあるのかもしれない。
それはたぶん、人間が意図して作れるものでは全くないだろう。
人間の友達、あるいは人間の道具だなんてとんでもない、それは人間とのコミュニケーションさえ成り立たない、理解不能で恐ろしいものであるに違いない。 * 完結後の感想はこちら

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