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2010/01/29 金

ちょっと猟師に憧れる

いつぞや、マタギつながり?でご紹介をいただいた本。
ぼくは猟師になった
ぼくは猟師になった」 千松信也 (リトル・モア)



野山の生き物への関心が高じて、“趣味で”狩猟を始めてしまった著者のモノローグである。
ワナ猟をする同僚との出合いから始まって、狩猟免許の取得、ワナの構造や仕掛け方、取れたシカやイノシシの処理や料理(シカのフィレーの刺身とかボタン鍋の旨そうなこと!)、保存の仕方に至るまで、ひととおりのマニュアルのような構成になっている…これを読んで真似できるようなものではないけど。

ワナにかかったシカやイノシシを鉄パイプで“どつく”(とどめを刺して絶命させる)ようなシーンにはどうしても違和感を抱かざるを得ないが、それも“狩猟は残酷だという人がいるが、スーパーで売っている肉の来し方に思いも馳せずお金だけ払って得ることの方が残酷だ”とか“自分が暮らす土地で動物を取り、その肉を食べて自分が生きていくプロセスすべてに自分の責任がある”という主張に触れると、ナルホドと思う。
“趣味”とはいえ、自然と向き合うことで得られる絶妙なバランス感覚がそこにはある。

猟期は冬場の三カ月間ほどで終わるが、話は尽きない。
自宅裏山の倒木を使った薪ストーブのある生活。獲った肉をじっくり燻製にする。山菜や川魚をとる。潮干狩りでマテ貝と駆け引きする。これでもかと自然と遊ぶうちにまた秋になり、猟期がやって来る。

著者の「どう?いいでしょ」とほくそ笑む顔がなんとなく浮かんできて、たいそう羨ましい気持ちにさせてくれる本である。


*
ちょっと話は変わるが、手元にエゾシカに関する新聞記事がある。1月27日の北海道新聞のコラム「卓上四季・シカを食べる」で、2010エゾシカ料理まつりを紹介する一文である。

明治期まではエゾシカはよく狩られ、食用にされていたが、開拓や乱獲によって絶滅寸前になり、禁猟の措置が取られた。1990年以降になって個体数は急回復、農業や森林に食害などの被害が及ぶようになっている。毎年7万頭ほどが捕獲されるが、食用になっているのはうち1万頭しかない。…もっと食用に供してはどうか、という内容である。

「山や森からの恵みとして「命をいただく」ことは、自然と人間の関係を考える機会にもなろう。新しい北海道名物に定着するとよい。」とコラムは結ぶが、食糧資源であるとともに自然との共生を語る辺り、この本のテーマと似たところがある。

それに本の著者も、適切な処理をすれば臭かったりはしないものだし、ニホンジカと比べてエゾシカは旨いという。オレも何度か食べてみた限りでは、不味かったり臭かったりした試しはない。もっと食用になってもいいんでないかな。


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ついでに蘊蓄を垂れると、イノシシは猪の肉(しし)ということ。鹿の肉ならカノシシというわけだ。

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Comments

これ面白いでしょ.半年前くらいに読んだ.
ああ違う.1年前.
私は実は、生きた鶏を捌いたこともあるし、
鹿を解体して、後ろ足の皮を剥ぎ、筋切りしてパーツに分け、
食べられるようにしたこともある。

でも自分でやると、その後食べられなくなる自分がそこにいました。

私は残念ながら、食料品としての肉は食べられるけど、獲物としての肉は難しいのかもしれない。魚は気にならないんだけどねぇ。
>hiroshi
面白かった。というより、やっぱ羨ましかった。
山フトコロに住みたい。

>ふら
おー、サスガ! あの体毛は伊達じゃなかったのか(爆)。

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