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2008/08/05 火

母と息子は分かり合えるか

高村薫さんの小説に合田雄一郎シリーズというのがあって、「マークスの山」→「照柿」→「レディジョーカー」と面白く読み進めて来たんだけど、シリーズ最新作「太陽を曳く馬」が月刊文芸誌の「新潮」に連載されていると知ってまた興味が湧いた。

いよいよ来たか、と。

「レディ…」で合田は心がすっかり折れちゃって、事件は一応解決を見るものの別の部署へ異動になっちゃったりして、ただその異動先も(国際なんちゃら部だっけかな?)十分続編をヨカンさせるものだったので、心の隅で楽しみにしていたんである。

「太陽を曳く馬」なんて、タイトルからしてなんとなく想像ふくらむじゃないですか。(ギリシア神話に由来しているらしい)

ところが、Wikipediaで調べると、別欄に「福澤彰之シリーズ」というのがあって、そこにも「太陽を…」と書いてある。同名の違う小説なはずはないので、ここで別シリーズがシンクロして来るのだと思われる。

しかたねぇそっちのシリーズも読んでみるか、と手にとってみたのが今回の読書。
晴子情歌

晴子情歌」 高村薫 (新潮社)


いざ買う段になって驚いたのは、ハードカバーで上下2巻の大作だったこと。(次の「新リア王」もだ) 古本ポチ作戦ではあったが、図書館を利用すべきだったと軽く後悔。

ま、買えば時間を気にせずのんびり読めるからいいんだけど。

さてこの小説、今までのものと全然毛色が違うんですな。
第一、事件が起こらない。人間の内面に深く切り込む新境地、というように説明されているが、確かにそういう野心が感じられる。

「晴子」というのは母である。
「母と息子は本質的にわかり合えるのか?」 それがテーマのように思われる。

息子彰之は、大学を出てから遠洋漁船に乗り込んでスケソウダラとかを獲っている。
息子に、晴子は長い長い手紙を送る。
その手紙…青森・野辺地から北海道・初山別などを舞台にした母の少女時代から息子を産む辺りまでの回想と、現在(といっても昭和五十年頃)の北方の荒れ海を舞台にした息子を取り巻く人物や心象風景とが、交互に描かれる。

母は鰊漁に湧く北海道や戦争に向かう日本を背景に、息子は労働争議や学生運動を背景に(双方の空気感は少し似ている)、それぞれの生を生きる。時に女として、時に男として。

二人の時空の隔たりは、物語を追うにつれ次第に近づいていく。ラストシーンでクロスするのかと思っていると、二人のラインは微妙にすれ違ったまま終わる。
母と息子はクロスしない…それが作者が描きたかったポイントらしい。

作者が描きたかったといえば、そもそも作者の根元的な動機は、母の手紙の舊仮名遣ひや青森弁(南部弁か)を書きまくることにあった気もする。

なんにせよ非常に骨太の作であった。

*

次作は「新リア王」という。

国政政治家である「父」を巡る女の闘いでも描かれるのだろうか? 漁船員であった彰之も国政に向かうのだろうか。
で、合田らとはどこでクロスするのだろうか。(単行本が出るのはまだまだ先だが)

重たいので正直あまり食指は動かないけど(笑)、引き続き読んでみる。

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