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2009/11/27 金

神の手は審判に与えよ


※写真はイメージです。
「神の手」がまた出現したらしい。

この18日に行われたサッカー、フランス-アイルランド戦で決勝点のアシストをしたフランスの主将アンリ選手が、そのゴール前で手を使ったのだ。

笛は鳴らなかったが、TVの映像にその反則シーンがしっかり映っており(そのシーンはオレも見た)、アンリ選手自身も手で触れたことを試合後に認めている。

ところがこの試合、ワールドカップの最後の切符をかけた欧州地区のプレーオフだったからさあ大変。試合の帰趨を超えて、どうも両国間の国際問題にまで発展した(している)らしいのだ。

スポーツのアヤというものじゃないか、誤審もサッカーのうちだ、という気がオレだったらするけれども、そこは巨大化したワールドカップの舞台。互いにいきり立つ気持ちもわからないではない。

その中でFIFAの見解がよい。「ルールは審判の決定が最終的なものと明記しており、再試合などの必要はない」とアイルランドの猛抗議を毅然と突っぱねたのである。

ルールがあり、審判がいてプレイがある。それがスポーツゲームでいいのではないか。

誤ったんだか意図的だったかは知らないが、当の審判も相当に胃が痛いだろうけどね。
…という「事件」が起こった時、たまたまこんな本を読んでいた。


誰も知らない プロ野球「審判」というお仕事


元プロ野球セ・リーグの審判(※)だった著者が、審判になった経緯やその知られざる生態、苦労、選手や監督らとのエピソードを語った本である。

笑うに笑えない(今だから語れる)失敗談とか、名キャッチャーとのかけひきとか、読みどころが随所にある。

中でも著者が繰り返し語るのは、ひとつは審判という仕事に対する誇りである。
「俺がルールブックだ」と豪語した審判(二出川延明氏:実際はそうは言っていないらしい)ほどではなくても、審判たるもの少なくともルールブックの隅々まで記憶し、理解しているのは当然であることや、野球に対する人一倍の情熱と愛情、そしてグラウンドでの立ち居振る舞いに至るまでの背筋の通った生き様。

またひとつは、審判の地位が(大リーグなどに比べて)不当に低いことである。
待遇ばかりではない。100%間違いがなくて当たり前、ひとたび間違いがあれば(実は間違いでなくとも)選手や監督、球場のファンから恫喝されたり罵声を浴びたりする。審判への理解の少なさ、誇り高い仕事へのリスペクトが小さいことを嘆くのである。

確かに。

審判は神聖かつ絶対であって然るべきだと思う。審判がルールであっていいと思う。
プレイヤーが人間なら、ジャッジも人間である。「誤審」が話題になるたび、機械による判定やビデオを参考にするといった話が消えては浮かぶ。だが人間がリアルに行っているプレイに対して機械やスローモーションを導入しても興ざめなばかりではないか。
人間である以上、誤審は避けて通れないだろうが、プレイヤーが人間ならジャッジも人間が、人間の感覚で行うべきだろう。

審判がそう言うならしょうがない…そういう空気を醸成することがスポーツには必要だと思う。

審判の地位向上には、球界全体でぜひ努めて欲しいし、審判は審判で、周囲が自ずと納得するようなプロとしての凄みをもっと見せてもらいたいものである。



※)来年から(NPBのコストダウンのために)審判はセ・リーグ/パ・リーグの区別がなくなるらしいです。

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