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2009/10/15 木

太陽を曳く馬(読了)

いやーマイッタわ。

晴子情歌」「新リア王」と続く高村薫の福澤彰之シリーズ、公約通り2カ月以上かかったところで読了しますた。
太陽を曳く馬〈上〉
太陽を曳く馬」 高村薫 (新潮社)



高村薫のもう一つの流れ、合田雄一郎シリーズとの合流が関心のポイントであった。

オウムや9・11テロ、世田谷の家族惨殺など、かつての“常識”では割り切れない不条理な事件が続く中で物語の幕があく。物語とは、2つの殺人事件に絡む福澤(殺人犯の父親/雇用主であった禅僧)と合田(担当刑事)との対峙である。

ひとつの犯罪は、絵を描くという行為から人間の認識論へ、もうひとつの犯罪は、宗教(仏教・禅宗)を入り口とした人間の存在論へと続く、底知れぬ人間考察のフックとなっている。それらの深みへと刑事の立場を越えて考察を進める合田自身の心の軸線の不安定さと、独自の立ち位置から人間についてなぜ?を問い続ける福澤のとらえどころのない生き様とがタテヨコに交錯し、人間はなぜ殺すのか、なぜ生きるのか、といったなんとも言えない精神の淵というか瀞というかへ、読者は流されて行く。

…というのが小説の大まかな輪郭であろうと思うけど、そこで設定されたテーマや語られているテツガクは少々デカすぎてオレなんかには噛み切れない。

おかげで歯がぐらついて、今日、歯医者へ行って来たのはあまり関係ないと思うが、読解力の危機、いやマイッタなのである。



なお、太陽を曳く馬とは、アポロンが太陽を乗せて曳いた馬車馬である。アポロンの息子が、自ら太陽神の子であることを証明しようとしてその荒馬を曳き出すが、かえって街を焼いてしまい、ゼウスの雷によって撃ち殺されてしまう。そんな話がギリシア神話にあるという。

作中では、そのように呼ばれている原人の洞窟絵(実在するのかはわからない)を、人間の原初的な描画衝動のモチーフとして使ったようである。

その絵そのものが象徴であるとともに、「息子」が曳き出した「人間の中にある荒馬」的なものを暗示したタイトルなのかなと思う。

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Comments

読みました。
あまりにもわからないので「現代文訳・正法眼蔵」を読み始めましたが、輪をかけてわからない(爆)。
オレだけじゃなかったんだ。
ホっ。(←安心している場合ではない)

ちなみに高村薫の弁。
http://book.asahi.com/news/TKY200908010077.html

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