2003/12/09 火

山名の不思議

山名の不思議 -私の日本山名探検
山名の不思議―私の日本山名探検 (谷有二) 平凡社ライブラリー

登ったリストを眺めつつ、まだ「岳」のつく山がないなーと思っていたら、この本に出会った。日本人はフジサンと言うのに、なぜ外国人はフジヤマというのか。なぜピークなのに峠と呼ぶ地域があるか。なぜ丸っこいのに「槍」と呼ぶ山があるか…など、由来を解きほぐしながら山名の成り立ち方を考える。

著者のプロフィールを見ると、文化論者…? 特に肩書きはないようだが、日本の古語、伝統的な文化文物や朝鮮語に詳しいので、こういう本を書くのにふさわしい人なのだろう。

2003/11/15 土

マークスの山

マークスの山(上) 講談社文庫
マークスの山 (高村薫) 講談社文庫

以前にも掲げた本の文庫版。“書き直し”と言えるくらい加筆されたというので改めて読んでみた。
確かに、ストーリーや登場人物の心裏のヒダヒダがくっきりして、ますます緊迫感が増した! 絶対お薦め的一冊(上下二冊だが)。

重要な舞台として北岳(南アルプス)や穂高(北アルプス)などが出て来るんだが、まだ実物を見たことはないものの、前回読んだ時よりは知っているのでその分さらに興味も深い。実際に行ったことがある場所だったらもっと面白いんだろうなー。

2003/08/13 水

五〇歳から再開した山歩き/99歳、モンブラン大滑降に挑む

五〇歳から再開した山歩き

99歳、モンブラン大滑降に挑む
五〇歳から再開した山歩き (本多勝一) 朝日新聞社
99歳、モンブラン大滑降に挑む (三浦敬三) 草思社

期せずして、同じ時期に「年齢シリーズ」を読むことになった。片や50歳、片や99歳。オレにもまだまだ遊ぶ時間はあるなぁ~と思うと、実に勇気づけられ、また楽しみにさせてくれる本である。

前者は、北海道にもゆかりの深い朝日新聞の人。山登りや山スキーをガンガンやりまくった紀行文である。
「五〇歳…山歩き」と言っても趣味的な中高年登山ではなく、中央アルプスが故郷というだけあって本格的な山行である。

後者はもちろん説明不要の山スキーの草分け。さぞ悠々自適の滑走自慢かと思いきや、「技術を指導…」「弱い人をリードしなければ…」という記述が随所に見える。本当に「現役」の人なのだ。実に凄い。あやかりたい。

ところで、本多氏は行政不信や社会の未熟さを論じ、バッサバッサと切って捨てる。その義憤には同感の部分も数多いが、近くにいたらちょっと窮屈すぎる人かも…。

また「99歳…」の方は、肝心の99歳時のバレーブランシュ滑走成功の記述はまったく出てこない(内容は80~95歳くらいまでの滑走記)。タイトルとしてインチキであろう。

2003/08/03 日

登山の運動生理学百科

登山の運動生理学百科
登山の運動生理学百科 (山本正嘉) 東京新聞出版局

「山歩きの際は普段の半分以下のペースで歩けばバテない」「水分は、できれば失った分だけ補充しなければならないが、その量は驚くほど多い」「山歩きに最良のトレーニングは山歩きである」「富士山でも、高山病による死者が年平均3人程度出る」といった山行の生理的メカニズムと対策(トレーニング法)などを、著者自身が被験者となって取った豊富なデータと平易な表現で説明してくれる、非常~にためになる本。

2003/07/27 日

山歩きの自然学

山歩きの自然学―日本の山50座の謎を解く
山歩きの自然学 -日本の山50座の謎を解く (小泉武栄) 山と渓谷社

昔子供だった頃、夕張の実家の裏で、よく崖から飛び降りて遊んだっけ。
…と言うとなんか荒唐無稽のようだが、岩がボロボロに崩れて堆積してほどよいクッションになっていたため、別にケガとかもしなかったのである。

以来、何となく崖というのはそれが当たり前のようなイメージだったが、どうもそれは蛇紋岩の露頭というもので、結構ありふれてはいないものらしい。夕張岳が特異な高山植物が多いことで有名なのも、この地質に植生が影響を受けているからだというのである。

そんな話を始め、地質、植生、氷河時代以来の大自然の歴史から、高山植物の分布の不思議、妙な地形といった日本の山約50座の「謎」を解き明かす。なにぶんシロートゆえピンと来ない部分も少なくないのだが、グっと登山の興味を深めてくれる本である。

2003/07/21 月

登山不適格者

登山不適格者
登山不適格者 (岩崎元郎) NHK出版・生活人新書

なかなかショッキングなタイトルだが、山で見かける・山にいがちな、心得不足・準備不足・勉強不足な“不適格者”を挙げ、そういう人は山に来るな、とやっつける本(という体裁を取りながら、もちろんそこに気を付けて楽しく意義深い時間を山で大いに過ごそう、という啓蒙書である)。
著者は、ヒマラヤ遠征隊長などの経験があり、NHKの入門番組で講師を勤めたこともある、ヤマ界では著名な人。

その内容は山への心構え、装備・食料や読図などの事前準備、自己を知り、他者への思いやりを知れ…というようなものだが、単なる入門書から一歩踏み込んだ警句、傾聴すべき先人のバランス感覚がちりばめられている。
ウチみたいに、ちょっと山歩きを囓り始めてイイ気になっている初心者はぜひ一読すべき本だろう。

2003/07/21 月

WOODCRAFT AND CAMPING

Woodcraft and Camping
Woodcraft and Camping (NESSMUK) DOVER社

焚き火大全」で紹介されていたので、買ってみた…と言いつつ、実は同名の別の本と間違えたのだった(^^;)。

「woodcraft」は、森術…森林での行動・生活技術というような意味だそうで、これは1920年初刊の、アメリカキャンプ入門書の古典(The Great American Classic of Camping)である。
Amazon.comで引くと筆頭に出てくるので、今も盛んに読まれているのだろう。

装備や遊び方はいかにも時代的だが(用意すべきはファインウールの外套だとか、油引きの帆布でテントを作るとか)、その基本的な哲学といったものは現代にも通じ、傾聴の価値あり。
「Go Light--装備は軽くシンプルに」、「輝かしく愉しき焚き火のない森林ホテルは早晩滅びる」とかね。

2003/07/08 火

登山の誕生

登山の誕生―人はなぜ山に登るようになったのか
登山の誕生 -人はなぜ山に登るようになったのか (小泉武栄) 中公新書

いつから人間は、またなぜ人間は、スポーツやレジャーとして山に登るようになったか?を歴史的・考証的に解き明かす本。

アルプスやエベレストのヒラリー(英国隊:NZ人)を引くまでもなく、本場といえばヨーロッパかな~という気がするが、「登山」の歴史から言えば日本なんかの方がよほど早かったらしい(お山参詣や講、修験道など宗教的な対象として)。
一方ヨーロッパでは「魔物の棲む場所」として恐れられこそすれ、近年までとても人間が入り込むところではなかったという。それがなぜスポーツへと発展したかと言えば、やはりパイオニア的な変人がいたせいなのであるな…。

世界の登山界を牽引して来た英国だが、やはり貴族の遊びで山岳会組織なども硬直していたゆえ、庶民が参加する他国に次第に遅れをとって行った…など、さまざまなエピソードが面白い。日本の山岳会小史も瞥見される。

なお、孫引きになるが、日本山岳会の二代目会長(確か)だった木暮理太郎氏の言葉がよかったので、ここにも引かせてもらおう。
私達が山に登るのは、つまり山が好きだから登るのである。登らないではいられないから登るのである。なぜ山に登るか、好きだから登る。答えは簡単である。しかしこれで十分ではあるまいか。/登山は志を大にするという。そうであろう。登山は剛健の気性を養うという。そうであろう。その他の曰く何、曰く何、皆そうであろう。ただ私などは好きだから山に登るというだけで満足する者である。

2003/07/04 金

銀嶺の人

銀嶺の人 (上巻)
銀嶺の人 (新田次郎) 新潮社

最近小説(虚構)は滅多に読まなくなったのだが、例外が新田次郎サンだな。

この小説は、山と渓谷誌7月号で「南アルプス」側のレポーターを務めた大久保由美子サンが、ふつうの?OL時代に読んで、山に向けて大いに触発されたというもの。大久保サンのつり込まれるような笑顔が何となくよかったので、つり込まれて読んでみることにした。

さて小説は、医師と、屈輪彫(鎌倉彫)の若き大家という2人のデキる女性が軸となって進む。冒頭は冬山登山で遭難しかける場面だが、2人が取り組むのはフリークライミングである。そして、“男女の愛”がフリークライミングにどう影響するか?がテーマになっているように思われる。
時代のゆえか、女性像やその“愛”の進み方に大時代的なものを感じるが、モンブランやアイガーなどの壁登り場面も交えて一気に読ませる。
結末はビミョー。新田サンの厳しい小説作法が現れている…というところであろうか。

2003/06/26 木

野性の呼び声-The Call of the Wild-

野性の呼び声―動物小説集〈1〉
野性の呼び声 (ジャック・ロンドン/辻井栄滋訳) 社会思想社・現代教養文庫

荒野つながり」で読んでみた。

セントバーナードとシェパードの間に生まれ、裕福な知識人の家で育った犬・バック。ある時、ユーコンのゴールドラッシュの中で犬ぞりの引き手として使われるために誘拐される。荒野で大変な目に遭ううち次第に自然からの呼び声に気づくようになり、最後の主人の死とともに森に還り、そしてオオカミたちのリーダーとして伝説となるまでの物語。

ちょうど100年前の小説(1903年7月公刊)だが、古さは感じない。もの言わぬ主人公だけに、いろいろな読み方ができる。
自然に還らざるを得なかった痛ましさか。
自然=自由の王国を開いたか。
これをヨリ観念的にスマートに描くと、「かもめのジョナサン」になるのかも知れない。

そのテーマについて、訳者あとがきでは「文明批判の書」というが、それはウガチ過ぎのようにも思う。原始に戻るのがいい(つまり、文明へのアンチテーゼ)ということでもあるまい。野生、自然とは、文明などとは関係なくどうしようもなくそこにあるもの、ということだろう。逆に文明もまた、どうしようもなくそこにあるものなのである。
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