まとめる前にまた余談だけど、「ソーシャル・・・」と言いかけると、どうも「・・・エンジニアリング」と続けてしまう。
これはパソコンセキュリティ業界の言葉で、日本語にすると「社会的手口」。
例えば、社内の関係者になりすまして電話をかけ、システムのパスワードを聞き出すとかいう手法をいう。まあ詐欺的行為である。
*
ところで、ソーシャル・エンジニアリング。
じゃない、ソーシャル・ネットワーキング。
これを一言で言えば、インターネット上にある「一見さんお断り」の会員制サロンみたいなもんだろう。
入室にはIDとパスワードが必要である。さらに「友達」の紹介や承認が必要である。
紹介や承認を介して友達が加入し、その友達がさらにその友達を連れて来る。これによってメンバーが増える。
メンバーは、相互にメール的なものを打ち合ったり、友達の友達を友達に昇格させたり、自分で興味ある分野のテーマ別会議室のようなものを作って盛り上がる。
今まで接点のなかった同好の士同士が出会える新しい接点という意味はあるだろう。
だいたい同じような興味分野やリテラシーを持った人間が集まるわけなので、話が合いやすく居心地がよいというのもあるかも知れない。
どこかで素性がわかっているので、「荒らし」や「誹謗中傷」「公序良俗違反」といった妙なふるまいをする人間もいない。
そこのメンバー以外からの着信をすべて拒否すれば、SPAMメールもあり得なくなる。
*
いいことづくめだが、それで済まないのが世の常である。
まず、ネットワーク化を続けていけば、ネズミ講じゃないけどどこかで飽和するのは理の当然である。
・増えてくれば意味なくなる
と喝破したさとしす氏のような指摘もある。
最初は管理されていても、メンバーは基本的にオールフリーで入って来る。
周辺部分では、「同じような興味」「リテラシー」は、当然拡散してくる。
そのうちには、ハズれた人間も会員になってくるだろうし、もともとはハズれてないんだけど、ハズれた役回りに陥ってしまう人間も現れるだろう。
(一定の割合で存在する「落ちこぼれ」をカットすると、必ず次のグループが「落ちこぼれ」る、という法則がある)
そしていずれは、一般社会の景色と変わらなくなる。
「閉じた居心地のいい空間」は、早晩破綻するだろう。
*
一方、閉じた居心地のいい空間であり続けるために厳密にメンバーを選んで行かなければならないとすると、見かけるのは常に見た顔ばかりで、発展性のないコミュニティになるしかない。
次第に硬直化し、飽きてくる|あるいは狭い空間で衝突するのは必至である。
*
もう一つは、言いがかりのような話ではあるが、ソーシャル・ネットワーキング・サイトでは、自動化ツールが使われている。
会員間の多くのトランザクションを手動で捌くことはあり得ないから当り前なのだが、意外にこれが面白くない。
ツールを使って楽しんでいるというよりは、「使わされている」というキモチに、どうしてもなる。
おがちゃん氏の言うような
・慣れるしかない
というのも実はヘンな話だろう。
もっともこれは近頃のインターネットサービス全般に言えることで、自動生成でやたらに重かったり、いずれどこかで見たようなデザインと無味乾燥な内容しかない、機能至上主義、ユーザーなんか二の次という本末転倒サイトもよく見かけるところである。
もっと言えば、
・等幅フォントで見てください/小さいフォントで見てください
・新しいバージョンのブラウザで見てください
というのも根っこは同じだろう。
Webは、もはやテクノロジーの実験場であるべきではないのだ。
*
と言いつつ。
orkutには私自身、友人を数名誘ったけど(※)、大して覗いてもいない。まー、それは単純にイギリス語社会であるせいもある。
一方、echooの方には、時々メールをくれちゃったりする人がいるので、つい行ってしまう。それがF太氏だったりすると、つい、ほいほいと返信を書きに行ったりして。
nadare.netはまだ入ったばかりだが、知ってる人がいっぱいいるので、それなりに楽しんじゃうんじゃなかろうか。
まー、遊びなんだから、結局なんでもいいといえばそうなんだけどさー・・・(^^;)。
※ちなみに彼(彼女)らは、その後、誰も誘っていない(^^;)。
▲続きを隠す