2008/12/16 火

コケで森を見る

コケの謎―ゲッチョ先生、コケを食う
コケの謎―ゲッチョ先生、コケを食う」 盛口満 (どうぶつ社)



なんかで見て関心を持った本だけど、なんで見たんだったか(ヤマケイか道新かどっちかだと思うんだけど)、なんで関心を惹かれたか、まったく思い出せない(^^;)。

2008/12/15 月

地図のおべんきょー

[趣味の教科書] 山岳地図の読み方・使い方 (趣味の教科書)
[趣味の教科書] 山岳地図の読み方・使い方」 村越真・宮内佐季子 (エイ出版社)



「趣味の教科書」シリーズとあるように、地図(中でも登山で使う地形図)に関するノウハウ本です。

2008/12/08 月

自然との共生を考える本

マタギに学ぶ登山技術 [ヤマケイ山学選書] (ヤマケイ山学選書)
マタギに学ぶ登山技術 」 工藤隆雄 (山と溪谷社)


ヤマケイ山学選書の一冊。
現代のマタギたちへの取材に基づき、われわれの山歩きの参考になる点はないか探ろうという本である。

2008/09/23 火

地形図秘話

地図に訊け! (ちくま新書 663)
地図に訊け!」 山岡光治 (ちくま新書 663)

元国土地理院の技官だった著者による、地形図の裏話。

作図技術や「図式」と呼ばれる作図マニュアルの歴史的な変遷、地形図に潜んでいる「間違い」「影や風向きなどの表現」「(ある種の)ウソ」などのエピソードがかなり興味深い。

中でも、

「かなり最近(2002年)世界測地系に組み込まれるのを機に補正されるまで、日本の地図は大陸などの地図と経緯度に食い違いがあった」とか、
「電子基準点(GPS電波を連続的に捉えて三角点同様の役割を果たす)が全国に約1,200点設置されている」とか、
「あの山は○○山であると特定し正しく表記することは意外に難しい」

とかいう話にはへぇーのオンパレードだし、

「建物の名称が表記される位置(順序)」とか、
「実地測量と航空写真参考の違い」とか、
「地図製作には“小人の手と巨人の目(繊細な作業と、巨視的に見て必要な情報とそうでない情報を取捨選択する=時には大胆に省略する能力)が必要」

とかは実用面から重要な示唆である。

勉強になりますた。

2008/04/14 月

ロード・ノベル

路上 (河出文庫 505A)
路上」 J.ケルアック (河出文庫 505A)

こちらでのおすすめ(違?w)により、読んでみますた。
当の「The Road」から約50年を経た、第二次大戦直後くらいのお話です。
一応小説だが、ほぼ著者の体験に基づくと言われる。

なるほど確かに。放浪への飽くなき憧れ…というより強烈な衝動が読みとれますね。
どこかで読んだアメリカの開拓精神…「西へ西へ」という意識は、我々が想像する以上のものがありそうです。
(どんづまりの西海岸に着いた後は、ハワイへ、そして日本へと版図を増やしているわけですが)

2008/03/31 月

漂泊の才能

ジャック・ロンドン放浪記 (地球人ライブラリー (014))
ジャック・ロンドン放浪記 (地球人ライブラリー (014))」 ジャック・ロンドン (小学館)


アメリカ大陸横断鉄道の黎明期に、列車にタダ乗りしては全米を股に掛ける放浪者群がいたという。その名をホーボー。

あっ、ホーボージュンっていうアウトドア・ライターがいるけど、語源はこれだったんですかね。(ほうぼう放浪するからかと…(^^;))

ジャック・ロンドンと言えば、「野性の呼び声」を始めとした作品をものした20世紀初頭のアメリカ文学の寵児。若い頃、彼もまたホーボーの一人だった、それもとびきり“優秀”な。

この本は、その時期のことを綴った自伝のようなものである。列車に潜り込むさまざまな手口や、車掌・制動手といった係員をいかに出し抜くか、行った先々での物乞いの上手なやり方…などのわくわくする冒険談。

もちろん、著者のように“優秀”なのもいれば、新米のうすのろのと揶揄されるような“できない”奴もいる。

なにしろ放浪ひとつ取ってもスケールが違うなぁと舌をまく部分がありつつ、誇り高き放浪者であっても、例えば平凡な労働者であっても、結局人生の成不成を分かつものは才能のあるなしなのよね、とちょっと空しくなる本でもある。

こういう本を読んで空しくならずに、漂泊の望みに取り憑かれちゃう人もいるに違いない。それまたひとつの才能ではあろう。

2008/01/31 木

恋愛小説という名の山岳小説(?)

氷壁 (新潮文庫)
ヤマケイ読者推奨図書シリーズ。
その「第3位」に挙げられていた本です。

2008/01/25 金

孤高の人

孤高の人 (上巻) (新潮文庫)
孤高の人」 新田次郎 (新潮社)


ヤマケイ読者推奨図書シリーズ。

昭和初期に「単独行での厳冬期縦走」で勇名を馳せた登山家、加藤文太郎をモデルにした小説。

新田次郎氏の小説は、どこまでが史実でどこから虚構なのかが判然としないんだけど(プロットや情景描写、セリフまわしなどは虚構であろうと思われる)、その虚構が何といっても面白い。
山になぜ登るのか。冬山とはなにか。雪とはどういうものか…単独行と孤独の狭間で揺れる主人公の思考に託して展開される機微に満ちたヤマ哲学。それらは、新田氏自身がヤマ歩きを通してしきりに考えたものであるに違いない。
その豊かなディテールが、岳人を…じゃないヤマケイ読者をいまも惹きつけてやまないのだろう。

読み進めるにつれて、(新田氏の小説のカラーだが)沈鬱な空気が漂い始めたりはするけれども、一気呵成に読了した。

(余談だけど、「孤高」と「偏屈」は表裏であると思われ(^^;))

*
加藤文太郎について、もっと知りたくなった。

はっ!と思い出したのは、手元にあるハズの「山と渓谷」2004年11月号。特集はズバリ、「単独行と加藤文太郎」。
本棚を見てみたら、あった。
買った当時は加藤文太郎って人を知らなかったのでほとんど読まなかったが(^^;)、知ってから読み返してみると大変に面白い。

主人公の最後のチャレンジの地・北鎌尾根の空撮。(遠望でも身の毛がよだつぞ)

主人公と奥さん、娘さんだけが実名になっている経緯。

遭難時のパートナーの描き方が事実と逆であると思われること。(そのページの筆者は、世が世なら訴訟モンだという。指摘はもっともだが、小説作法としてはこのように描くことに十分に意味はあると思う)

などなど、小説だけでなく、機会あればこちらも同時に読んだ方がいい。

*
底本として使われたという、「単独行」という本人の文章も残っている。青空文庫で全文を読むことができる。

「――今日は元日だ、町の人々は僕の最も好きな餅を腹一パイ食い、いやになるほど正月気分を味っていることだろう。僕もそんな気分が味いたい、故郷にも帰ってみたい、何一つ語らなくとも楽しい気分に浸れる山の先輩と一緒に歩いてもみたい。去年の関の合宿のよかったことだって忘れられない。それだのに、それだのに、なぜ僕は、ただ一人で呼吸が蒲団に凍るような寒さを忍び、凍った蒲鉾ばかりを食って、歌も唱う気がしないほどの淋しい生活を、自ら求めるのだろう。 ――」

加藤文太郎記念図書館のようすが詳しいサイトもある。

2008/01/03 木

冒険の才能

青春を山に賭けて (文春文庫)
青春を山に賭けて」 植村直己 (文春文庫)


明大で山岳部に入る頃から、五大陸最高峰の単独登頂を果たすまでの手記。
(ヤマ屋のバイブルのひとつらしい。ヤマケイ1月号の読者投票でも、8位に入っていた)

*
読中、何度も浮かんで来たのは「愚直」という単語だった。あだ名は「ドングリ」だった。不器用だった。でも逆にそれをバネにして、余人の到達し得ない高みを踏んだ。

冒険には才能がいる。
へこたれない、諦めない。そして、思いこむ力である。

功名心がまったくなかったとは言えない。
が、動機はいつも単純だった。心の赴くまま、ただ行きたい方向へと、思いこんだら一途に、どこへでもひょいと出かけて行く。実行に躊躇はない。
ふつふつと沸き上がってくるもの、それが才能というものにほかならない。

そういえば、この年末に山下清のエピソードがTVで流れていた。
巧まざる技巧、心の中で「描きたいもの」が素直にそのまま出てくる作風。
まさに才能だろう。

*
また一節に、こうある。
「冒険--それは、まず生きて帰ることである。」

生きて帰り、語ることができて初めて、それは冒険と呼ばれる。

氏は、厳冬期のマッキンリー登頂を成し遂げたあと、雪原に消えた。クレバスに落ちてもひっかかるようにと、氏が考案した旗竿をつけたまま。

だから、最期の旅は未だ冒険にはなっていない。
氏はいま、どこの途中を彷徨っているのだろうか?

2007/11/25 日

60年代のパウダーシーン

“一瞬の凄み”…というわけで、昨年雑誌で知ってぜひ見たくなった写真集。

あの後、さっそくオークションのアラートに登録したんだけど、いやぁ、待つこと1年…ついに出品され、落札することができました。

黒いシュプール」、三浦敬三さんの写真集です。

1965年12月に初版(ゲットしたのは1966年再版)。
映画「白銀は招くよ!」が1959年、「アルプスの若大将」が1966年公開ですから、ちょうどスキーブームが訪れていた頃ではあるかも知れません。

三浦雄一郎さん(当時33歳)がモデルとなり、急峻な深雪の中を“セーターで”滑りまくっています。
華麗なる“回転”さえ、まだエキスパートだけのものだった時代。
ブーツ(というより“スキー靴”)は革、ストックのリングも巨大です。両足がピタリと揃って腰を捻るフォームも時代ですねぇ。
そんな頃に、スキーを担いで、あるいはシールで登り(あるいは、なんていうの?階段登り?で延々と登ったような跡が写っていたり)、防寒具の性能もよくない中でシャッターチャンスを待ち、今よりもいろんな意味で困難なシーンを見事に写し取っています。

現在エクストリームパウダーフォトセッションが隆盛を迎えているわけでありますが、そのまさにさきがけとなる一冊なのではないでしょうか。

モノクロームの魅力的な写真とともに、魅力的なキャプション(説明文)が記されています。
例えば。

「…このようなスピード回転こそ雄大な雪の斜面にふさわしい…ウェーデルンの流行によってスキーの本質が遙かに遠のいて了った感じがする。スキーというのはもっと大まかなものの筈だ。」

もう、めちゃくちゃサスガです。
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