2007/04/05 木

Путин

プーチン
開明な自由改革主義者なのか、冷徹な独裁者なのか。
非常によく目立つのにその実体がよくわからない、という意味で、世界現代史の中で最も興味ある人がウラジーミル・プーチンだった。

プーチン」(池田元博)新潮新書

たまたま、そのものズバリなタイトルの本を見つけたので読んでみた。

結論を言えば、プーチンの人となりについてはあまり掘り下げたことは書かれていなかった。前二代とは異なって調整能力に長けており、「法の独裁」を公約としている。要は秩序を重んじる(また、そういう国家を目指す)人。闇の部分もありつつ…といったところだろうか。

ゴルバチョフからエリツイン、プーチンへと至るソ連社会主義解体の経緯や(スピード感があって、並の小説より面白い)、現在のロシアが抱える課題と展望など、プーチンを憑り代としたロシアの横軸・縦軸は非常にわかりやすく勉強になる。

最初の関心、「プーチンって結局どんな人?」という疑問には、むしろWikipediaの記述の方がよくわかる。
いつぞや「?」だったお腹にチューのエピソードは、ヤハリ、スキャンダルという位置づけらしい(笑)。

2007/03/23 金

二冊の重い本

思想的にとかじゃなくて、物理的に重い(笑)。

エゴン・シーレ―1890-1918
先日とある本屋さん(コーチャンフォーではない)に入った途端、書架から強烈に訴えかけてくる本がありました。よく見るとエゴン・シーレの画集でした。
おお!シーレか。昔好きだったなぁ。と思って手に取る。ずしっと充実のたたずまいなんだけど、値段を見ると1,200円。うお、っ! 即、買いとなってしまいました。画集なんていつぶりだっけかな。あ、奈良美智以来か。

シーレは、鉛筆の素描がなにしろ凄い。サっとラフに描いてる風なんだけど、筆致は確信に満ちている。肉が盛り上がって来るようなリアルさは、すげー迫力であります。
暗い、極めてビミョーな色調(屈折してるんだろうなぁ(笑))もオレ好み。同系の作家にグスタフ・クリムトがいて、これも嫌いではないけど、そっちの自然とわき上がる明るさとは際立つ対照を為してます。どっちかというとこっちの暗さの方が好き(屈折してるのかなぁ(笑))。

エゴン・シーレ―1890-1918 タッシェン・ジャパン


The Snowflake: Winter's Secret Beauty
もう一冊。
日本語版も出ているんだけど、失礼ながら訳者の方の「日本語力」があまり信用できないので、アメリカ語版を購入(安いし)。ま、写真集だから読めなくてもいいっしょー(笑)。

パトリシア・ラスムッセンという人が撮った「雪の結晶」の写真集です。
いや…実は、ケネス・リブレクトという人が書いた雪粒に関する解説文も載っていますが。
いや…むしろ文章の方が主なんですが(^^;)。

美しい…(うっとり)。
雪の結晶は六角形。でも気温や湿度(水分供給)によって、その形は無限のバリエーションを呈します。ひとつとして同じ形はない、わけですね。その造形には、ホント、時を忘れて見惚れてしまいます。

中に、窓ガラスについた霜の写真もあって、子どもだった頃に夕張(南清水沢)の駅舎の窓についていた結晶を思い出しました。あんなにキンキンにしばれることって、最近ないよなぁー。

好事家の間では有名と思われるナカヤ・ダイヤグラムも出ていました(日本人の名前もよく出てくるんだけど、スペルがよく間違われていますなー)。ダイヤグラムにはあってもあまり見たことのない、サヤ状なのや柱状なのの写真もあるので、興味深かったです。

日本と言えば、「雪粒を観察するのに好適な場所」として、中央北海道が紹介されています。でかい樹枝状の雪粒が見られる!んだそうで。


ところで、雪の結晶をネットで調べていてちょっとヘンなサイトを見つけました。
自分だけの結晶を作ろう!
ま…こういう風にいろんな形ができるわけですねー。

2007/03/20 火

わが青春のバイブル(爆)

プレイボーイの人生相談―1966‐2006
いや~~、これですよ、これ!
シバレン、開高、今東光!
高校から大学の頃まで、毎週毎週、ページを繰るのももどかしく激しく読みましたよ。真っ先に…(嘘。もちろんグラビアが先だったが)。
一刀両断、鮮烈にして痛快、滋愛にして深遠。今読んでも色あせない箴言の数々、が散りばめられております。

しかしナンですね。十年一日、若者たち(中にはオッサンもいたようだが)の悩みの何とワンパターンで青臭いこと。古今、あらゆる相談と答えが、この一冊にすべて収まっているような気がする。

そういう意味でも、読み継がれるべき古典とすら言えそうですな。

2007/02/16 金

毒舌に憧れる

最近AEON発寒SCが面白い。

SM(Jusco)はライヴァルなんだけど(笑)、「モンベル」とか、世界各国の食材を物色できる「カルディ」といった多彩なテナントを冷やかすのが面白い。
中に「Village Vanguard」という雑貨屋さんがあって、今回初めて入ってみた。おー。んー。おぢさんにはチト、こっ恥ずかしい。でも面白い。
昔風にいうならファンシーショップだろうし、雑然としたたたずまいはドンキに通じるものがある。
けど、これらと違ってどことなし好ましいのは、一定の秩序感がある(ような気がする)からだ。
ディスプレイする人の意思が感じられるということなのだろうか? 一貫したポリシー? カテゴリー指向? センス? あまり誉めすぎる必要もないので(笑)、深入りはしないけども…。

ま、先日、ぶらりと入って見た。「遊べる本屋」とかいうサブキャッチもついており、雑貨と並んで書籍も扱っている。品揃えはもちろん少ないのだが、テーマ別にマニアックに掘り下げられているところがこの店の独自性だ。メガマーチャンダイジングブックショップにない刺激と発見がある、わけだな。

で、刺激を受けてしまった。それは「宗教」のコーナー。密教関係の毒々しい色彩の本に混じって、懐かしき今東光和尚の本が目に留まった。

そうなのだよ。わしらの世代ならゼターイ読んでいる。週刊プレイボーイの人生相談。それも柴田錬三郎、今東光、開高健の頃…(担当コメンテーターが亡くなってバトンタッチされていくのが常だった)。ああ懐かしくも、刺激的だったあの頃。
その今和尚の本である。集英社文庫だから、ほかの本屋で見つけてもよさそうなもんだが、こういう店でこそ、出合うべくして出合ったということなのですな。

毒舌・仏教入門
毒舌・仏教入門」今東光(集英社文庫)

戸津説法といって、天台宗の偉い方が代々講じてきたのを、今和尚が務められた時の講話をまとめたものである。
代々の偉い方は、天台仏教の精髄をここぞとばかりに講義するわけだけども、そこは今和尚。時に河内弁、時に江戸弁を交えながら、自らの破天荒な人生経験をベースに語るわけです、聴衆をゲラゲラ笑わせながら。人呼んで漫才説法。

でも笑わせるだけではない、仏教(仏の教え)のエッセンスは深く強くこめられている。人間、狭い世界を分け合っているのだから互いに譲り合えばよいのに、それがなぜできないのか。「中道」で行けないのか…。
もとよりオレは仏教に帰依するものではない。今後ともない(自然宗教者だ)。だが誰しも傾聴すべき、大きな教えであろう。
世界の人々がみなこの境地に達すれば、いさかいも戦争も起きないだろうに。

同じコーナーでもう一冊買った本。

宗教世界地図 最新版
宗教世界地図 最新版」立山良司(新潮文庫)

単に「宗教」の分布を解説した本ではない。なぜなら、宗教の異なるところ、摩擦や紛争、果ては戦争や虐殺が必ず存在するからだ。つまりは、その「衝突の分布」を解説した本なのだ。

宗教の違いばかりが原因ではないだろうが、人間はなぜいがみ合い、理解し合えないのか。
Village Vanguardの雑然とした秩序感の中で、いろいろ考えさせられる一週間だった。

*
ところで、「毒舌」って憧れるなぁ。
知恵も力もない人間が毒づけば単なる捨てぜりふだろうけど(オレだ)、しかるべき人が言えば力強い箴言になる。

例えばジミン党のアベくんにも毒舌はムリだろう。

2007/01/23 火

マンガの話

昼飯を食いに、よく近所の蕎麦屋や定食屋やラーメン屋や中華屋に行くんだけど、そういう店にはたいてい漫画週刊誌が置いてあるので、パラパラと読みながら食う。
もう見るからに読みたくない作品もあって、飛ばしながら読むと、ちょうど一食食い終わるのに一冊読み終わるペースだったりするわけですね。

さて、ある日。
ビッグコミックオリジナルを読むともなしに読んでいたら、ヤラレタ。油断した。凄ぇ。
弁護士のくず」。
何号だったか忘れたけど、「金魚のフン編」。
一編読み終わったところで体が震えちゃいますた、蕎麦屋だもんで涙するわけにもいかず…。
かねてからいい話描くなァと思ってたけど、実にヤラレタなぁ。

…なんてことを考えていたら、今日、新聞にその名が出ていた。「小学館漫画賞を受賞」。

いや、これには驚きもしない。当然でござんしょう。
浦沢某よりよっぽど心揺さぶられるもんなぁ。

*
あ、そういや先日、「PLUTO」の第4巻を買った。
おしまいまで読んで、どことなく不満を感じていて、最後のページを開いたらこれには面食らった。
どーんとでかい描き文字。
作品に華がないのよね。

ぎゃははは! さすがサイバラさん。
オレの「どことなく不満」をズバリとあとがきで。

面白くないこともないんだけど、だらだらとどこまで続くのよ、そんな感じをしっかりと言い切ってくれました。

でも、本の作り方として、PLUTOのあとがきにサイバラさんはどうなのよ(笑)。

2006/09/29 金

坊ちゃん

恥ずかしながら、夏目漱石の「坊ちゃん」を初めて読みますた。
即席松山かぶれってことで、はい。

一読して思ったのは、「なんじゃこりゃぁ!」てなことでした。

文学的価値はともかく。
カラっとした青春小説(東京から松山に赴任した新米教師が、周囲の個性的な登場人物とともに笑ったり悩んだり“マドンナ”に恋こがれたりしながら成長して行く話…なんてわかりやす杉(笑))だとばかり思っていたんだけど、全然違う。
直情径行・無鉄砲をムネとする坊ちゃんが、松山くんだりまで飛ばされて、ただ軋轢を起こして戻ってくるってだけのねじくれた話じゃん。
“マドンナ”だって人の好い許婚者をほっといて別のオッサンに口説かれちゃうだけの女(登場人物とさえ言えない)だし。
いい人なんか一人も出て来ない。
なにより、松山に対しては田舎だの不浄だのと、とにかくけなす一方じゃないですか。

先日行った時には、出版100年というタペストリーが町なかに架かっていたり、旅館の部屋には一冊「坊ちゃん」の文庫本が用意されていたり、坊ちゃん電車の、坊ちゃん饅頭のとさんざ観光に利用しているけど、いったい松山は何を考えているんでしょうか。

いやー、呆れたを通り越して、力なく笑うしかありませんでした。

2006/09/06 水

五次元世界のぼうけん

小学生の頃だったかなぁ。
「五次元世界のぼうけん」(あかね書房:渡辺茂男訳)という児童文学を読んで、いたく胸ときめいたことがあります。

ときめいたと言っても、主人公メグのニックネームのひとつが「メガパーセク」といって、それが326万光年という途方もない距離を表す単位だった(3260万光年と書いてあったような気もするが)、で、そんな名を持つ女の子にどきどきした、ということくらいしか覚えていなくて、どんな話だったかなぁ、いつか読み返したいなぁ、と思っていたのでした。

とうの昔に絶版になっており、図書館を探しても見つかりません。

先日なにかの拍子に思い出したので(ときはいつの間にかインターネット時代になっていた(笑))、検索をかけてみると、意外に読んでる人もいるですねぇ、けっこうページが見つかりました。
復刊ドットコムではもうひとつ票が足りません(笑)が、なんと札幌市中央図書館にも1冊蔵書があるじゃないですか。

へぇー。
借りてみようかなぁ。
でも憧れの人って、いざ手が届くところに来ると、却って引いたりするじゃないですか(笑)。
昔おもしろいと思った本も、今読み返すとガッカリすることが多いわけです。

うーん。
どうしよう。
とジレンマに陥ったところで、はっと閃きました。
勉強がてら、原書で読んじまえ(児童文学なんだし)。そしたら、どうせアメリカ語なんて読めないんだからガッカリもしないだろ! そうだそうだ!

というわけで、買ってみました。

A Wrinkle in Time
A Wrinkle in Time (Madeleine L'Engle) Yearling Books

出版は1962年(邦訳は1965年…40年前ですね(^^;))。
買ったのは1993年の復刻版です。
復刻版が出るくらいですから、アメリカでも読み継がれているんですかねぇ。(著者は数々の文学賞を受けている。20年前に死去)

Wrinkleというのはドモホルンリンクルのリンクルで、皺です。「時の皺」というのはつまり、ワープとか亜空間航法とか、そういう手法を使って時空に皺を寄せるように端折り、遠い異世界で邪悪なものに囚われているおとーさんを救いに行く話なのです。
(テーマは当然、愛です)

ほぉー。
そんな話だったかぁ。
まったく、筋のすの字も覚いていませんでした。
胸ときめいた「メガパーセク」のくだりもものすごくアッサリしていて(てゆーか1行)。
登場人物のリンカクも全然違う(邦訳ではカットされていた人物もいるらしい)。
しかも完結していない(笑)(4部作の第1作なのでした)。
原書に当たるというのは、おもしろいねぇ。(←少し、意味が違う気がする)

ま、なんだかんだ、楽しいひとときではありました。

ひととき?
いや、買ったのが4/21。読了が9/4。寝る前にベッドで開くもんだから、多くてもひと晩に数ページというペース。4カ月半だよ(orz)。

2006/08/28 月

ゲド戦記ノート

原作を読んだこともないし、映画にもまったく興味がないんだけど、この記事には大変関心を引かれました。

原作者アーシュラ・ル=グイン氏が映画「ゲド戦記」について書き記したノートです。

2006/07/27 木

肝要苦の五洋

激しく怒る意味の慣用句として、本来の「怒り心頭に発する」を使う人が14・0%にとどまったのに対し、「怒り心頭に達する」を使う人は約5倍の74・2%に達するなど、慣用句の誤用が多いことが26日、文化庁の日本語調査で明らかになった。

北海道新聞 バックナンバー

この手の報道を見るたびに、なのですが、4人に3人が使う言葉がなぜ「誤用」なんでしょうか。

辞書と違うから? 教科書と違うから? 識者の常識と違うから? 「近ごろの若い者は」?

言葉は本来、定着化・固定化とは無縁な“生き物”です。人間の意識の変遷とともに、日々移り変わっていくものです。変わることによって通じなくなるなら問題ですが、“正しい”方が通じなくなりつつある現実の前で間違いと決めつける方がよほど間違いなのではないでしょうか。

記事ではまた、

調査によると、周囲の人に明るく振る舞うという意味の言葉として「愛想を振りまく」を選んだ人は48・3%。本来の言い方の「愛嬌(あいきょう)を振りまく」の43・9%より多かった。


とも述べていますが、「愛想を振りまく」は一部辞書にはすでに掲載されています。お愛肉様でした。

2006/07/17 月

読書しゅうかん

博士の愛した数式
ときどき、ネ申でも降臨したみたいに本が読みたくなります。年に1回か2回。
そうでない時には、ほんと数カ月、1冊も読まなかったりするわけです。

その間は、あれも読みたい、これにも惹かれる、と次々に買ったり借りたりして未読の書が積み上がり、途切れることがないのですが、どうやらこの本をもって今回のネ申は終了ということになりそうです。
(と言いつつ、自分の「意志」とは関係ないところがネ申たるゆえんなのですが…)

*
今回一番下に積まさっていた本は、以前から機会があったら読もうくらいに思っていた

博士の愛した数式 (小川洋子) 新潮文庫

です。
友人ひろしが最近読んだようで、「まあまあ」と言っていたので、つい買ってしまいました。

読んでみますと、いかんせん。
浮かびますよね。寺尾聰の顔が。「博士」が出てくるたびに。(たまに、ひろしの顔も浮かびましたが(笑))

原作そのものが豊かなイメージを持っていて、すでに面白い場合、「映画化」は必要ないんじゃないかと私は思います。文章を自分の頭の中で紡いで行くとき、そこには無限のイメージがあります。でも映画化で、そのイメージが寺尾聰の顔に固定化されてしまうからです。(イヤ寺尾聰がダメってわけじゃありません)
それに映画化って、安易なコマーシャリズム、もしくは映画の活力というか造形力が弱まっていることの代名詞みたいに思えません?

さてところが、その原作に例えば、じゅうぶん面白いんだけど少しだけ不満があったりするとどうでしょうか。
博士はなぜ子供(の保護)に異常な執着を見せるのか?
「義妹」との真の関係は?
「80分」とは何なのか?

そういう、いわば“行間”を描いてくれるんだったら「映画化の是非」はまた違って来るかも知れません。
映画をご覧になった方。いかがでしたでしょうか?
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