2007/08/16 木

どっちが得かよく考えてみよう

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)
ナンバ走り」以来だから、不読書週間に突入してから2カ月強になる。
読む(読める)時には、続けざまに読むんだけど、読まない(読めない)期間に入ると、ほとんどダメダメになる。
全然本に触れないというわけじゃないんだけど、遅々として進まなくなる。

で、2カ月ぶりに読んだ、というか2カ月ぶりに読了したのが、この本。




北大の先生で、社会心理学者。「相手を疑ってフトコロを閉ざす」のと「相手を信じてフトコロを開く」のと最終的にどっちが得か?ということを、念入りな(悪く言えば執拗な)実験をもとに検証した本。

実験結果は、一見損をするように思えても、「相手を信じてフトコロを開く」が正解なのだという。要するに、「正直者は(必ずしも)バカを見ない」ということである。

その前提になるのが信頼である。

安心社会(終身雇用、年功序列)が崩れて、社会システムが変化しつつある今。信頼社会(互いに相手を見る目を持つ成熟した関係)への脱皮が不可欠かつ急務である。

という本だったような気がする。
(なにせ集中力がないから自信がない(^^;))

2007/08/08 水

かっちゃく

ブログの頻出語を抽出してアレするサイト、kizasi.jpというのを(ニュースリーダーで)見るともなしに見ているんだけど、今日、「かっちゃく」という単語が出てきたのに仰天。

そう、「出さないとかっちゃくぞ」という季節の風物詩、アレです。

中身を見ると8/2~8の一週間で45件とかなので全然泡沫単語ではあるけど、出現率がハネ上がっているせいなのかな?

それはともかく、おくにことばは、まンずいいねェ。

2007/06/17 日

外国語の学び方

NOVAの件に関連してだけど、北海道新聞のコラム(6月15日)に非常に興味深い引用が載っていたのでメモ。
(関口氏はドイツ語学者ということですが、イギリス・フランス・ラテン各国語もできたとのこと(参照))

戦前から戦後に活躍したドイツ語学者の関口存男(つぎお)は「語学上達の秘訣(ひけつ)十カ条」を挙げた。どの条文とも「慣れること」だけだ。要するに慣れることですね、と聞く学生に「要するに、というのがだめなのです」。地道に、一歩一歩学ぶ姿勢を強調した。

卓上四季 北海道新聞

2007/05/22 火

近ごろのマガボン

知らなかったんだけど、コミックが読める(買える)サイトがあるんだねぇ。

今いちカユいところに手が届かないラインナップで、賞味期限があり(80日間限定とか)、中心価格は一冊294円くらい(ちょっと高いかな…189円くらいならいいのに)。ビミョーなところだ。

でもまぁ、50ページくらい「立ち読み」できちゃうので、ついポチしそうになります(やば)。

バロム1」とか「少年の町ZF」とか、超懐かしい。やばい。

ちなみに人気トップは、女性向け(と思われる?)Hコミックでつ(笑)。

2007/05/08 火

漢字を書けない子供

テレビを長時間視聴する子どもの割合は小学3年生から大きくなり、それに伴い長時間見る子は漢字を「書く力」が低くなる傾向のあることが、日本教育技術学会の全国調査で7日、分かった。

教育 北海道新聞

ガキのバカ化は今に始まったことではないので、どうってことはないんだけど、主題は「テレビ」であります。

今朝のTV番組で、司会者の小倉氏が「なぜテレビばかり悪者にする、長時間ピアノを弾く子供の調査をしたって同じ結果が出るのではないか」と吠えていたが、これは間違いだと思う。

TVは悪い。

TVは完全にパッシブなメディアで、視ている(眺めている)時には脳は活性化していない。スイッチを入れれば自然に流れ、切ればそれきり。そこには何らの緊張関係もない。

言葉の源泉であるコミュニケーションも論理思考もない。基本はゲハゲハ笑かすのが価値であり、ニュースにBGMを被せたりして、情緒演出だけに懸命。「話を易しくする」のがサービスだと誤認している。

そもそも、「字幕」の誤字脱字は目を覆わんばかりにひどい。(ADの言語能力)

まぁ、所詮は大人のモンダイなんですよね。
こんな文化崩壊のただ中で、どうして子供の漢字力が育つでしょうか。

それにしても、「支持」を「指持」と書く。
これとて、みんなで書けば誤字とは言えなくなるでしょうねえ。
長生きはしたくないもんじゃのう。

2007/05/04 金

象は鼻が長い

象は鼻が長い―日本文法入門
先日読んだ「日本語に主語はいらない」の「底本」のひとつに挙げられていた本です。
日本語の助詞のうち、係助詞「ハ」の役割について仔細に述べられています。「ハ」は、他の格助詞「ガノニヲ」を代行する働きと、語られている内容の「題目」を提起する働きとを持つ。
ひいては決して「主語」の標識ではない。(少なくとも日本語には「主語」の概念は不要)
そして、たとえば「象は鼻が長い」という一文があった時に、「象は」が総主語、「鼻が」が主語、等と無駄にねじれた解を与える学校文法への真っ向からのアンチテーゼです。

少々難しいですが、論旨は明解。日本語の構造が非常にシンプルに説明されています。
たぶん、日本語はそのシンプルさゆえ柔軟…運用段階では難しい言語ということになるのかも知れませんね。

この本、初版が1960年。我々もガッコでは「主語・述語」という文法を習いましたが、半世紀を経て近ごろはどうなっているんでしょうか。未だに、旧文部省の亡霊が立ちはだかっているような気がしますが…。

象は鼻が長い―日本文法入門」 三上 章 (くろしお出版)

2007/04/30 月

(これも)ココロの作用

時間はどこで生まれるのか
友人の日記経由。

時間はどこで生まれるのか」 橋元淳一郎(集英社新書)

最新の物理学的成果に基づくと、「時間は実在しない」のだそうだ。
ただ、と著者は第一章でいう、

「一流の物理学者というのは忙しいものだから、時間の非実在性などということを一般の人にわかる言葉で説明している暇がないのである」。

いいねぇ、知的啓蒙書っていうのはそれに明快に答えてくれるものでなくっちゃね!と思っていると、ページを繰ったとたんに次のような記述に出くわす。

「(空間と時間の関係を座標軸で描くとき、)「時間は実数、空間は虚数」なのである」。

いきなりダメでーす。
バッターアウーツっ。
結局、著者も忙しい物理学者の一人ではないのか…(ハードSFも書いているらしいが)。

はぁ…。

でも昼飯一回分くらいのお金を出したんだから、一応最後まで読みました。
まぁ結局、物理学は相対論とか量子論とか言って、不可視な原理を可視化してきたわけだけど、そうやって掘り下げていくとまた不可視な部分が見えてくる(←「現れないのが透明人間♪」論法)、そんな「因果」な世界に我々は生きている、ということなのでしょうね。

というわけで、昼飯一回分の価値は充分にある一書でした。
(どういうわけなんだよ…)

2007/04/28 土

平和の重み

民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる

マニュアルである。
「永世中立国」であるスイス政府が、各ご家庭に一冊配ったという、「有事」への備えである。
襲撃があったら、爆撃されたら、核攻撃を受けたら、細菌兵器に侵されたら、
なにが起こり、誰が、どうしたらいいか。

後半はシミュレーション。
近隣の全体主義国家が揺さぶりをかけてくる。大国がプロパガンダを仕掛けてくる。
そして開戦。スイスは多勢に無勢、武力をもって占領下におかれ、屈従の日々が始まる。
その時、国民はどう考え、なにをしたらいいか(あるいは、してはいけないか)。

メッセージは一貫している。
われわれは平和を堅持する意思を明確にする。支持国はある。
国民はこの本にしたがい、常に準備を怠るな。
そして有事にはいっとき我慢せよ。自由への解放の日は必ず来る。

あとがきにもあるけど、大変ショッキングな内容なのだ。中立を守り、平和を維持するために強力な軍を持つスイスの哲学。
「平和」には、覚悟が要るのだ。

同じ平和でも、そこには日本の「平和ボケ」とは異なる誇り高い理想と実践がある。
憲法論議もよいけれど、日本はもっと「平和」について真剣に(真剣に)考えた方がいいんではないのか?

2007/04/26 木

3つの時代小説

なんか突然読みたくなったので、なにかと話題のこの三人の小説を読んでみました。恥ずかしながら、いずれも初。

なんで近ごろ話題なんですかねぇ? 高度成長・団塊世代が暇になったから?(笑)

*
小説日本婦道記
小説日本婦道記」山本周五郎(新潮文庫)

某マイミクさんが、この2月にお子さんを出産されました。その時に、お医者さんから出産記念にもらった本だそうです。
出産祝いに山本周五郎? どんな内容なんだ? 妙に気になりました。

短編集です。古き佳き夫婦関係の物語がつづられています。
武士の矜持の中での、こまやかで深い互いの思いやり。「婦道」とは凄いけど、女性の立場からつづられるからこういうタイトルなだけで、男女の間柄はこうでなくっちゃ、という内容ですね。

思いのほかひらかなが多く、例えば柔らかい鉛筆ですらすらと書いたというような文体。穏やかで読みやすく、内容とともにじわっと浸透してくるいいお話の数々でした。

*
落日燃ゆ
落日燃ゆ」城山三郎(新潮文庫)

先頃(3/22)亡くなった氏の代表作のひとつ。

山本氏とはうって変わって骨太・重厚なルポを読んでいる感じ。これって小説なんだよね…?(^^;)

東京裁判にかけられ、文民として唯一A級戦犯となり処刑された広田弘毅元首相の物語。彼はむしろ戦争に反対し、軍部にブレーキをかけた。当時から「なぜ彼が裁かれなければならないのだ?」という声も多かったという(検察官さえ「死刑は重すぎる」と呟いたそうな)。
が、「開戦の責任は私にある」として、頑として言い訳も他者の告発も行わなかったがゆえに、有罪となる。
そこには、かれ自身の「中道の美徳」というものがあった。奢らず、ひがまず(威張らず、おもねらず)、公平に、そして運命のままに…。

ただ、個人の覚悟としてはよくても、黙して主張しなかった(真実を必ずしも明らかにしなかった)ことは、日本の歴史認識をも停滞させてしまったのではないか?…読後真っ先に思ったのはそのことでした。

また、先の戦争の原因はもっぱら軍部の暴走にあったと思っていましたが、この小説を読むと、戦争はある気狂いのリーダーが起こすのではなく、時代の空気といったものによって必然的に駆り立てられていくものだ、という感じもして来ます。
現首相の「暴走」の背景として、北朝鮮の非常識への怒り、中韓の「内政干渉」への不快感、テロへの不安、アメリカ国への依存(もしくは隷従)…そういうものが、我々の中にあるのかも知れません。

落日とは大日本帝國の終焉であり、「長州が作った憲法」の最期であったと小説は結ばれています。

*
たそがれ清兵衛
たそがれ清兵衛」藤沢周平(新潮文庫)

山田洋次監督で映画化されたアレの原作です。(映画は見ていませんが)

五十石とか百石とかの、しかも普段は「たそがれ」の「がが泣き(ぼやきの意)」の「ほいと」のと揶揄されたり後ろ指をさされている下級武士たちが主人公の短編集。
一見うだつの上がらない彼らだが、いったんお家の一大事には、実は腕に覚えありの剣を抜き、別人のように悪を誅する。カックイイ!!

というだけの話。

読み方が浅いのかなぁ。
巻末の解説にはいろいろ読みどころが書いてあったし、お話が上手いとは思うけど、大衆小説、流行作家とはこういうものか…。

最後はちょっとトーンダウン(笑)。

2007/04/20 金

日本語に主語はいらない

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す
「日本語に主語、入らない」じゃないですょ、もちろん。


かねて、「イギリス語の“I”一種類に対して、日本語には“僕”“わたし”“オレ”“それがし”など無数の言い方がある。日本語って、なんて細やかなんだべ!!」と思っていたんだけど、どうもこれ、そうカンタンにはいかない問題だったらしい。

そもそも“I”と“わたし”では、文法的な機能がまるで違うものである。
(どう違うかは、面白いから本書をお読みください(^^;))

日本語文法に「主語」という概念を導入する必要はまったくないし、イギリス語の法則から日本語を考えても意味はない。それは、明治維新以来のイギリス語偏重主義の弊害であり、現在の学校文法は間違いである。

と著者はいう。

明治の頃、初代文部大臣の森有礼という人は「日本語やめてイギリス語を国語にしちまえ」という暴論を吐いた。前島密は「かな漢字をやめてローマ字を使うようにしちまえ」と言ったそうだ。
(言葉を捨て去ることは、そのまま文化、ひいては民族アイデンティティーの放棄である)
で、大槻文彦という人がその後の「日本語文法100年の誤謬」を決定づけた。…

また明治かよ、ですな。

そんな中で、イギリス語やフランス語の話者に日本語を教えて来た著者(モントリオール大学の言語学教授)のアンチテーゼには非常に説得力がある。

後半の自動詞と他動詞の問題あたりになると、かなり難しくて一読では噛みきれなかったんだけど、「は」「が」論争の不毛さも含めて、いかに日本語文法は誤った路地裏にさまよい込んでいた(いる)のか、ということがよくわかる本である。

あとがきにも、日本語教育に携わる方はぜひご一読を、と書いてあるが、日本語のためにオレからもぜひ、とお薦めしたい内容である。
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